雑誌『新沖縄文学』が問いかけたものー状況への対峙と基層を掘る作業

2012-07-06 10:10:34 | Weblog
 わたしは、この壇上にあがること自体たいへん疑問に思うくらい、『新沖縄文学』のふまじめな読者ですが、何回か文章を掲載させていただいた恩義もありまして、引き受けた次第です。
 さて、何を提言できるか、わたしとしては雑誌をめくることから始めるしかないということで、大急ぎでメモを取り始めたのですが、新しい提言とまでは行きませんでした。しかし、休刊されることになった『新沖縄文学』の次へ向けての新たな展望、さらには沖縄の雑誌ジャーナリズムのあり方について考える場合に、やはりこれまでの経緯を振り返ることも重要なことではないかと考えますので、とりあえずまとめたわたしのノートをお手元に配りました。それに沿って、話を進めていきたいと思います。

 初めに、発行刊数95冊。創刊が1966年4月、終刊は1993年5月で特集は「『新沖縄文学』を総括する」。沖縄でこれだけの年数をかけて、これほどの巻数を重ねた雑誌は他にない、ということを確認しておきましょう。

 まず、時期区分ですが、だいたい3期くらいに分けられるだろうと思っています。まず第1期は「文学雑誌」としてスタートした1966年4月の創刊号から68年8月の10号まで。第5号を除いて、いずれも「創作」を前面に押し出しています。その理由は、第1号の座談会のタイトル「沖縄は文学不毛の地か」とする問いかけに示されるように、雑誌の方向性として「創作」を促し、作家を育てるというコンセプトを持っていたから、と考えられます。この時期の特筆事項としては、何よりも第4号(67年2月)に掲載された大城立裕作「カクテル・パーティ」が、第57回芥川賞(1967年上半期)を受賞したことでしょう。この受賞は一般に、「沖縄は文学不毛の地」ではないことを示したものとして、話題を呼びました。雑誌『新沖縄文学』としても、「文学雑誌」の面目を全国に発信したという自負を、密かに抱くことになったかと、推測されます。受賞と前後して、「総合雑誌」に向けた萌芽が現れ始めます。たとえば第3号で「沖縄史への展望」という座談会を企画し、沖縄史研究の水準や現段階を一般に紹介していますし、第5号では、「(沖縄タイムス)芸術選奨)特集として各分野に関わる「論文」を冒頭に掲載しています。また、表紙自体がある意味で戦後美術史を語っているということもあります。

 第2期は「文学雑誌から総合雑誌へ」の移行期として、1968年10月の11号から72年5月の「日本復帰」をはさんだ74年1月の25号まで、としました。なぜ11号を第2期の開始に持ってきたかといいますと、この号は「三大選挙その背後にあるもの」を「特集」とし、その後は「状況の分析」と「状況への提起」を基調とする特集が増えるからです。この期の25冊中、従来通り「創作」を冒頭に据えたのは14、16、20、24の各号4冊のみ、この間に文学関係特集として「山之口獏」(第12号)、「『神島』の内包する問題」(第13号)、「『復刻』広津和郎」(第17号)がはさまります。71年8月刊の20号「創刊5周年記念号」はほとんど文学オンリー、「これからの沖縄文学のあり方ー総括と展望」と題する座談会を設けて、その中で文学雑誌はどうあるべきか、という議論もなされています。

 一方で、「沖縄返還」がスケジュールに上り始めたこの時期に、臨時増刊号『70年沖縄の潮流』が出たのは1969年11月、この冊に「文学」関係は掲載されません。定期刊行の残り16冊はいずれも「状況」特集。中で際立つのは、「祖国日本」と「復帰運動」を根底から問い直そうとする第18号(70年12月)の特集「反復帰論」、第19号の特集「続・反復帰論」(71年3月)でしょう。第21号(71年12月)が「復帰」を半年後に控えて「中国とわが沖縄」を特集したのは、「祖国日本」ならぬ「アジア」を射程に入れたという意味で、これも特筆されるべきだと考えます。沖縄住民の意に反した形で、日米双方の「国家」によって推進される一連の動きに異議をとなえ、返す刀で「祖国復帰運動」にメスを入れる。そして「日本国憲法」を問い、「人権」を問い、「沖縄学」のあり方を問う。「復帰」2年後の第26号(74年10月)が「総合誌」への転換を明言したのは、ある意味で必然的であった、とも言えましょう。

 第3期は、「文化と思想の総合誌」として再スタートした26号から現在までです。総合誌への転換については同誌の「編集後記」に述べられていますが、その大きなきっかけとなったのは、その前の号、25号で掲載した「沖縄の文化と自然を守る要望書」(沖縄の文化と自然を守る十人委員会)の提起です。海洋博関係の公共工事や本土大企業による土地買い占めなどに伴って、沖縄の自然・文化・歴史環境が、大きく変化もしくは破壊されていくことへの大きな危機感があった。その危機感が、特集「崩壊する沖縄」を生み出したといえましょう。この企画をいわば再スタートの地平=序論に設定し、そこから「再生沖縄」に向けての総論や各論を展開していく。それが『新沖縄文学』の新しい戦略であったと考えられます。文学部門はどうなったかと見てみますと、第30号(76.11)で新しく設けられた「新沖縄文学賞」の第1回審査結果が発表されます。そして、第3回「新沖縄文学賞」が発表される第37号から、「創作」、「詩」、「短歌」、「俳句」の掲載は断続的になります。

 とりあえず、このような時期区分を設定してみたうえで、次に11号以降の「特集」を私なりに分類、整理してみます。

 タイトルに残る《沖縄文学》については、繰り返すことになりますが、12号(69.2)「山之口獏」、13号(69.5)「『神島』の内包する問題」、17号「《復刻》広津和郎」、20号(71.8)「創刊5周年期年号」「創作・詩他」、24号(73.6)「創作・シナリオ・詩・短歌・俳句他」、35号(77.5)「沖縄の戦後文学」、39号「創作・詩他」、71号(87.3)「島尾敏雄と沖縄」、この号は「文学と思想」とくくられるべきでしょうが、ここにいれておきました。82号(89.12)「沖縄・小説の現在ー新沖縄文学賞15周年記念」、別冊『沖縄近代文学作品集』(91.1)、といったところです。

 次に、《<状況>総論》としては、3つの角度で整理してみました。 ①<沖縄自身を見つめる視線>として、繰り返しになりますが11号(68.11)「三大選挙その背後にあるもの」、臨時増刊号『70年沖縄の潮流』(69.11)、18号(70.12)「反復帰論」、19号(71.3)「続・反復帰論」、「復帰」直後に出された22号(72.7)「憲法を考える」、26号「崩壊する沖縄」、32号(76.6)「新しい沖縄を求めて」、43号(79.11)「80年代・沖縄は生き残れるか」、44号(80.3)「挑戦する沖縄」、48号(81.06)「琉球共和国へのかけ橋」、53号(82.9)「おきなわにこだわるー独立論の系譜」、55号(83.3)「戦中・戦後の餓えと民衆」、59号(84.3)「84病める沖縄」、66号(85.12)「戦後四○年・沖縄はいまー軌跡の検証と展望」、69号(86.9)「国体と沖縄ーその光と影」、75号(88.3)「ポスト国体・どうなる沖縄」、78号(88.12)「沖縄と昭和」、87号(91.3)「沖縄・政治考」、92号(92.7)「『復帰』20年目の5・15」。臨時増刊号『日の丸・君が代』(86.1)もこちらに加えておきましょう。

 一方では②<アジア・世界に開ける眼差し>。これは先ほど述べたように21号「中国とわが沖縄」からすでに始まっていますが、その後は間が開いて60号(84.6 )「熱い眼差しー沖縄から台湾へ」、72号(87.6)「検証・国際交流ーアジアの中の沖縄」、90号「沖縄から見たソ連の激変」、などがあります。次に③「『本土』から見た沖縄」、「外」から見た、と言ってもいいでしょう。36号(77.10)「本土知識人と沖縄」、42号(79.8)「ヤマトの女性から見た沖縄」、64号(85.6)「中野好夫と沖縄」、65号(85.12)「在沖本土人が見た沖縄像ーカルチャー・ギャップを探る」、94号(92.12)「マレビトの視線ー沖縄を見つめる人々」などがあります。

 もうひとつ《<状況>各論》として、分類してみました。くくり方にはいろいろあるでしょうが、問題提起としてとりあえず次のような形にまとめてみました。①<基地、人権、平和、住民運動>として15号(70.1)「人権は守られてきたか」、40号(79.1)「沖縄と有事立法」、50号(81.12)「戦後沖縄・民衆の決起」、68号(86.6)「軍用地主の素顔ー二十年強制使用の狭間で」、73号(87.9)「沖縄基地ー十五年目の基地包囲」、88号(91.6)「湾岸戦争と沖縄」といった特集があります。②<開発、環境、経済>のジャンルとして、32号(76.6)「Ⅰ海洋博を総括する」・「Ⅱ地域開発と農業」、56号(83.6)「自立経済を考える」、63号(85.3)「自然からの警告ー白保・北谷のシンポジウムから」、76号(88.6)「水と暮らし」、77号(88.10)「『カンコウ』に巣くう妖怪ー軍事と観光」、86号(90.12)「玉野井芳郎と沖縄」。③<女性・老人・若者>として30号(75.11)「女性問題を考える」、70号(「長寿県沖縄ーその歓び・哀しみ」、93号(92.10)「沖縄の若者文化ー新しい感性」などがあげられます。④<教育の現場>として46号(80.9)「沖縄・教育の現場」、67号(86.3)「『学校・教師・PTA』ー誰のための教育か」。⑤<マスコミの現在>として、74号(87.12)の「病めるマスコミー体質を問う」。

 次に、《琉球弧の社会と文化》としてくくられるグループがあります。①特定の地域を特集した41号(79.5)「琉球弧のなかの奄美」、61号(84.09)「宮古のすべて」、81号(89.9)「奄美から見た沖縄」、83号(90.3)「糸満・ウミンチューの世界」。②<文化の基層と表層>として29号(75.7)「伝統と現代」、47号(81.3)「沖縄芸能界の現在」、49号(81.9)「南島のエロティシズム」、51号「南島・笑いの文化考」、52号(82.6)「島うたでつづる沖縄の昭和史」、54号(82.12)「食の文化史ー沖縄の風土と食物」、57号(83.11)「ユタとは何かー沖縄精神風土の根を探る」、58号(83.12)「沖縄の芸能・批判と提言」、62号(84.12)「組踊の現在を問うー玉城朝薫生誕三百年記念」などがあげられます。

 最後に《史層を掘る》というもの。このタイトルは、赤坂憲雄さん編集のシリーズから借用させてもらったものです。①は、タイトルそのままに<史層を掘る>。34号(77.1)「共同体論への視角」、79号(89.3)「『南島論』と沖縄」、85号(90.9)「琉球王権論の現在」など。それから②<近現代史の検証>として、28号(75.4)「沖縄と天皇制」、38号(78.5)「『琉球処分』一○○年」、45号(80.6)「沖縄移民」、78号(88.12)「沖縄と昭和」、84号(90.6)「もうひとつの戦争体験ー台湾・フィリピン・南洋群島」、89号(91.9)「アメリカ文化との遭遇」、91号(92.3)「沖縄・戦後の知的遺産」、92号(92.7)「『復帰』20年目の5・15」。そして③<「沖縄学」その人と学問>として、23号(72.12)「世礼国男」、25号(74.1)「沖縄学」、31号(76.2)「伊波普猷の世界」、33号(76.10)「『沖縄学』の先覚者群像ー人と学問」、37号(77.12)「沖縄研究の先人たち」、80号(89.6)「沖縄と柳宗悦ー柳宗悦生誕百年記念」、91号(92.3)「『沖縄学』への期待」。

 以上、非常におおざっぱですが、5つの傾向を特集から眺めることができるとする、提案をさせてもらいました。もちろん他の視角から『新沖縄文学』の特徴なり、功績を探ることも可能であることは言うまでもありません。その一方法を今日は試論として提示してみたわけです。

 実はこれまでにも何度か、誌上で『新沖縄文学』のあり方をめぐっては議論が行なわれております。まず、刊行の意義について。創刊5周年の20号(71.8)で「毎号赤字」ながらも「雑誌の使命である”沖縄という地方における文学、芸術運動を活発に展開する”という大きな使命があるから」継続する、という当事者からの発言があります。創刊10周年の32号でも『新沖縄文学』のこれまでと今後が議論されています。雑誌の「編集後記」を眺めても、大体の流れが見えてきます。そこでとりあげられた内容なり、課題は現在まで引き継がれている、と思われますが、編集者たちはその都度これらの課題を特集他の形で具体化し、提起・提示して来られたことは確かでして、あらためて敬意を表したい、と思います。そしてこの雑誌が、「沖縄タイムス」という日本の一地方紙にとどまらない、報道のスタンスと方向性において全国有数の新聞の力量に支えられて、ここまで来ることができただろう、とも考えております。要約するに、『新沖縄文学』は、文学と評論を通してかたや<状況に対峙する>、もう一方では<基層を掘る作業>、この2つを並行して続けてきた。2つの視角や方法は、今後の雑誌ジャーナリズムのあり方として引き続き有効ではないだろうか、ということを申し上げて、わたしの報告を終ることにいたします。ご清聴、ありがとうございました。(5780字)

                                                                                 (『新沖縄文学』95号、1993.4 沖縄タイムス社)
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