世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

くたばれ韓国、失せろ李明博(20)

2012-03-19 11:20:06 | Weblog

この慰安婦問題は、1983(S58)年7月に、吉田清治と言う共産党かぶれ(1947年に下関市議会議員選挙で共産党から立候補し落選)が、「私の戦争犯罪、朝鮮人連行強制記録」(三一書房)を出版したことから、はじめて広まった話しである。それまでは朝鮮・韓国でも一切話題に上がっていなかった。そしてこの話しは1989.8.14に地元の「済州新聞」が実地調査し、全くの捏造であると報じられているし、1992.5には千葉大学教授だった秦郁彦氏の済州島での実地調査結果が発表され、吉田清治の話がまったくの作り話であったことが証明されている。

しかしながら朝日新聞がどういう訳か、この慰安婦強制連行説を自身の新聞に載せ日本に広め始めた。

1991年5月22日、朝日新聞の大阪朝刊が、4回連載で、出鱈目の吉田清治の強制連行話を掲載した。更に朝日の暴走は続き1991年8月11日の大阪版は、植村隆記者による「1939年に連行された元慰安婦発見」の記事を報じたのである。彼女は女子挺身隊の名目で戦場に連行されたとする「金学順」であったが、彼女は義父に「キーセン」として売られたと証言しており、この話も朝日の植村記者の捏造であった。植村の妻は韓国人で、この韓国人妻の母が梁順任と言い、日本政府から戦争犠牲者としての補償金を取ってやると太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事として、訴えを起こしていた。その訴訟を有利にするために、植村隆記者は朝日新聞を使って捏造した応援記事を掲載したのである。朝日新聞はこの話が捏造であることを知りながら、掲載させたのであり、梁順任はその後詐欺罪で捕まっている。

そして極め付けが、1992(H4)年1月11日の朝日新聞東京本社朝刊の「慰安所 軍関与を示す資料」「政府見解揺らぐ」と言う曲解記事なのである。この件も'12.2.24のNO.4で詳述しているので参照願いたいが、主に朝鮮の業者が人さらいまがいのことで慰安婦を採用していたので、見るに見かねて日本軍が「軍慰安所従業員募集に関する件」として「そんなことを起こさせないように配慮せよ」との通達であったが、中央大学の吉見義明朝日新聞が、これまた曲解・捏造して前記のように報道したものである。

以上慰安婦問題の誤報を再度概略したが、問題はこの報道に吃驚した当時の宮沢内閣の軽率な対応であった。

この新聞報道の2日後1992年1月13日、当時の加藤紘一官房長官が、事実調査もしないうちにしてはならない謝罪をしてしまったのである。そしてその4日後1992年1月17日、訪韓した首相の宮沢喜一が、韓国の盧泰愚ノテウとの会談で、8回も謝罪と反省の言葉を伝えてしまったのである。

これも宮沢や加藤などが、歴史の事実をご存知なかった事から、謝罪をしてしまったものであり、そのためこれら一連の行動により「日本政府は、この朝日新聞の(捏造)報道を事実と認めて、謝罪した」と世界が認めることになってしまったのである。加藤と宮沢は超A級戦犯である。宮沢喜一は2007年6月28日にあの世に逝っているが、加藤紘一はまだ生きている。1939年6月17日生まれの、現在72才である。

こいつらの間違った謝罪談話で、韓国の東亜日報の1992年1月15日の社説では、次のように述べている。(産経新聞社の正論'12/1月号大師堂経慰氏の「慰安婦強制連行はなかった」より)

「十二歳の少女まで動員し、戦場で性的にもてあそばれたことに煮えくりかえるような憤怒を禁じえない」と報じ、天人ともに許さざる蛮行と非難した、と。

更にアメリカでも同様な非難が展開されているという。(同上より)
(続く)
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