世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(164)

2011-10-04 11:27:51 | Weblog

さて話を

「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮、
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html#1」


に戻そう。外国人が見ても、当時の李氏朝鮮はひどい国であった。伊藤博文や目賀田種太郎が如何に苦労し、朝鮮の建設に尽力したかがわかると言うものである。

次は、上記からの引用であるが、是非とも本文の方も参照していただきたい。



4.通貨2

シャルル・ダレ  313-314頁

「商業の発達に大きな障害になっているものの一つに、不完全な貨幣制度がある。金貨や銀貨は存在しない。これらの金属を塊にして売ることは、多くの細かい規則によって禁止されている。……合法的に流通している唯一の通貨は銅銭である。その小さな銅銭には亜鉛か鉛が混じっており、その価値はおよそ2或いは2.5サンチームである。それは真中に穴が明いており、一定の数を集めて紐を通す……。相当量の支払いをするためには、一群の担ぎ人夫が必要となる。というのは百両或いは百通銭(約200フラン)は、一人分の荷物になるからである。北部地方ではこの貨幣すら流通していない。……
朝鮮の金利は法外である。年3割の利子で貸し付ける人は、ただで与えるのも同然と思っている。最も一般的なのは5割、6割で時には10割もの利子が要求される。……
最近では次々に貨幣が鋳造され、それがだんだんと悪質になっている。昔の銭は銅製で、僅かに不純物が混じっていたのに対し、新しい貨幣は殆ど鉛になって急速に質が落ちている。しかしそこで利益を得るのは政府ではない。政府は必要なだけの銅を鋳造業者に供給するが、業者は銅を鉛に代えて、戸曹判書(大蔵大臣)或いは特別に検証の役にあたる官吏と利得を分けあうのである。」

韓国誌  92-93頁

「韓国の重量多き銅銭はその転送甚だ不便なるに拘わらず、前にも記せし如く、この国には送金の方法なく、為替の如きは之を用ゆるもの極めて稀にして、しかもその範囲は京城、義州、釜山及び大邱の如き主要なる商業地に限られ、そこにては時に他の商業地に支店もしくは特約者を有する商店に就き、3分の手数料を払いて為替券を買うことを得。又韓国には銀貨及び紙幣少なく、且つ是等の金銭は殆ど凡て開港場にて使用さるるが故に、屡々所要額全部を銅貨にて送らざるべからざることあり。而して銅貨は凡ての貨物と同じく、擔夫若しくは駄獣にて之を運び、之が為大なる困難を生ず。カールス氏その事情を説きて曰く「旅人あり。ある時24,000文即ちその時の相場で約30ドルの貨幣を京城より内地に送る必要にあいたるが、是等の金銭2頭の馬に駄載し、一包みの重量約6ポンドとなりたり。而してこの貨物は2人の兵士之を護衛したるが、行くこと幾ばくもならずして、兵士等は京城に引還りて尚支那人1人を付せんことを乞い、遂には人員6,馬4より成立する隊商を編成して護衛する事となれり。支那人は騎乗のために1頭、荷物のために1頭を使用せり。この如き多人数の護衛あるに拘わらず、其の旅人は尚貨物の安全に関し始終警戒を要するの境遇を経たり。この如く困難なる事情あるにより、その不便を除くの目的を以て一種の旅客取扱組合起こり、あらかじめ旅費を預かり、旅客をして現金を携帯することなく、途中の必要を充たさしむるの方法を取るに至りたり。」
「貸金業者の利息は之を欧人より見れば甚だ高率にして、利子計算期間は時に一年とする事あるも、10ヶ月を通例とす。只完全なる信用を有するものの借り得べき最低利息は10ヶ月2割にして、その他は3割、4割甚だしきは5割を貪らるること屡々にして、カトリック教宣教師の言によれば10割の高利に及ぶこともあり。

イザベラ・バード 93-94頁 南漢江(なむはんがん)旅行に際して

「通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行するものを例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取って貰える貨幣は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位で縄に通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないで又それも厄介なのである。100円分の穴あき銭を運ぶのに6人の男か、朝鮮馬1頭がいる。たった10ポンドなのにである。」

マッケンジー   109頁

「古い制度下の貨幣は、世界中の悪貨の内でも最たるものであった。或イギリス公使の公式報告の中での有名な嘲笑、それは韓国の貨幣は良貨、良い偽造貨、悪い偽造貨、あまりにも粗悪なので暗いところでしか通用しないような偽造貨の4つに分類することが出来る、としているが、これは必ずしも作り話ではない。(日露)戦争の起きる前までは、相当量の貨幣を受け取る場合には、貨幣を点検するエキスパートを雇って最悪の偽造貨を選り出すということをせねばならなかった。」

杉本コメント

朝鮮はソウル、平壌等中央部を除き、物々交換の時代に止まっていた。従ってこれらの地域では一個1厘の葉銭しか通用しなかった。この葉銭の運搬の苦労については、上記各書が記述している。開港後外国商品の流入により、次第により高額の貨幣が必要となり、1個2銭5厘の白銅貨が発行された。この白銅貨の鋳造権を、上納金を取り政府高官に与えたため、各高官は品位を下げ発行し鋳造利益を確保した。この為非常に品種が増え、マッケンジーが書いてるような状態となったのである。1904年財政顧問として赴任した目賀田種太郎により整理された。

この商業の未発達が台湾との違いである。台湾では日本商人は台湾商人に押さえられ、末端経済に進出できなかった。それに対し朝鮮では日本商人に押さえられ、より小さい規模の企業にしか進出できなかった。

・・・・・・・・・・・・・

6.身分制度、両班の横暴

6.1両班

韓国誌  302頁、311-312頁

「1894年の改革前には5箇の階級存在したり。即ち貴族(両班)、地方両班、中等民、平民、奴隷是なり。……然れどもこの条例は今日まで多くは死文に属し、……奴隷の1897年に至も猶公然存在するは其の一例なり。」
「強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認する物は遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、之を払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人として之に信おく者なし。両班平民より土地家屋等を買い入れたるときは、多くはその代価を払うことなく、又物件を借りたるときも多くは之を返す事なきも平民は一人として決然之に抗する者なし」

シャルル・ダレ:実話として  193-194頁

「みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班が郡衙の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた4人の捕卒が行き会い、その外見にやや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者ではないかと思って、ぶっしつけな尋問をした。すると両班は答えた。「はいそうです。私の家までついて来て下されば、共犯者も教えますし、盗んだ品物を隠している場所も教えます。」捕卒たちがついて行ったところ、この両班は家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕らえさせ、さんざん殴りつけた。その後その3人からは両眼をえぐり取り、残る一人からは片方の目だけをえぐって、次のようにどなりつけて彼らを帰した。「この野郎ども、分かったか。これからはよーく見て歩け。おまえ等が郡衙に帰れるように、目の玉一つだけ残してやったのだ」

杉本コメント

ダレによると1857年の法令改正により、それまで認められなかった両班の庶子も両班として扱われるようになつた。(190頁)これにより両班は急増した。一説によると併合時両班の数は40%に達したと言われる。(未確認)両班は官吏以外の職に就くと、その後永久に両班の特権を失うので、彼らは失業しても決して他の仕事をしようとしなかった。又彼らは極度に労働を蔑視して、キセルに煙草を詰めるのさえ従僕にさせたといわれる。このように無為徒食する大量の両班を養うため、常民の生活は大変だったようである。』

(続く)
コメント
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