村八分をこれでもか!と、頭から浴びてどっぷりどっぷり浸かって溺れてもう帰ってこれなくなるくらい聴きたいときがある。
そして毎年5/5が近づくと、「あ!そうか!誕生日だ!」と気付く。
それが今年は今日だった。ナウ。
5/5、本当は5/6なのかなぁ。
もうすぐ村八分のチャー坊こと柴田和志さんの誕生日です(´∀`)
まだちょっと早いのだけど、待ちきれないので今日は誕生日前前前前前前夜ということで乾杯\( ´ω` )/🍷🍸🍶🍻🍺
こういう瞬間、やっぱり人間にはちゃんと目に見えない気というか、オバケじゃない霊、勘があるのだなぁ~と思うのです…👻👻👻
冨士夫さんが「水たまり」を演るとき、「チャー坊、おりてきてくれよ~」って言っていたのを思い出します(´ω`)
チャー坊さん!あたしのところにも片足の小指の爪先の先の先の先くらい、もしも降りてきてくれていると嬉しいなぁ。。。
あたしは、ライブでも音源でも物理的な意味でボーカル、ギター、ベース、ドラムを音、音色として捉えて聴いてしまう癖があるので、ボーカルを言葉として聴き取ることがなかなかできない…。
かっこよくて素敵なボーカル(声)だなぁと思っても音と同時に歌詞を言葉として聴くことができない…。
でもチャー坊の歌詞は、詩が音と一緒に、音と言葉で聞こえる。
なんでやろ。なんでやろ。
喋り言葉みたいな音楽で歌詞で詩。
なんでやろ。なんでやろ。
すごくて、すごすぎて、かっこよくて涙出る…。
「チャー坊遺稿集」の詩は何年経っても色褪せないし、付録の「裏の楽屋」や「アメリカの涙」もずっと…。
「裏の楽屋」
『 夢見ることだけを すべてと思ってきたが 今 その夢が消えていく』
「アメリカの涙」
『 あおいあおい空 もっと空気をきれいにしてほしい』
最後の詩。
(P285/「チャー坊遺稿集」より抜粋)
『 おれは ひっしでみつけたんだ
おれには 音楽や美術があるってね
わかってくれよ おれの事』
『 友よ 友がほしい』
『おれには ステージがあるぜ!
おれにはステージがあるぜ!』
『オレが死んでも時々思い出してくれるかい
オレが死んでも時々思い出してくれるかい』
感傷的なものがすきというわけではないけれど文字を指で何度も何度もなぞりました。
チャー坊の詩は簡単な言葉も難しい言葉も、こんなあたしの心にもすとんと着地する。
きっと言葉に言葉以上の気持ちや意味を背負わせないから。
言葉に背負わせるようなそんな意地悪やケチや横着な失礼をしないから。
言葉に背負わせたらいけない。
それは裏切り。言葉への裏切り。冒涜。
うら ぎ・る [3] 【裏切る】 ( 動 ラ五[四] ) ① 味方にそむいて敵側につく。 「 味方を-・る」 ② 人の 信頼にそむく 行為をする。 「 友人を-・る」 「 恋人に-・られる」 ③ 期待や 予想に 反する。 「 人々の 予想を-・る 成績」 [可能]うらぎれる 「 裏切る」に似た 言葉 » 類語の一覧を見る 売り込む 売渡す 密告 売る 背く
言葉に背負わせるということはまさに、自分が勝手にした「期待や予想に反する」結果になったとき、それを簡単に「裏切る」という言葉で要約し、相手を裏切り者と化すことだ…!
勝手に期待したのは、勝手に予想を立てたのは、勝手に思い込んだのはおまえだろう、自分だろう…!
それを相手や言葉のせいにするんじゃない…!
チャー坊の歌詞はそんな冤罪をやらない。
それ以上も以下でもない言葉で踊るように書いて描いてる。
言葉を自由にしてやってる。
自由に放してやってる。
言葉で遊んで言葉に遊ばせて言葉と遊んでる。
ギラギラしていて、尖っていて、だけどとっても可愛らしくて、可憐で、華麗で、能みたいで、ポップで、面白くて、可笑しくて、悍ましくて、ひずんでいて、か細くて、恋で、佇んでいて、地下室の手記みたいで、憎しみで、ぼろぼろで、陰鬱で、光で、夢で、希望で、絶望と希望追いかけっこで、白昼夢で夢うつつで、夕焼けで、裸電球で、裸の街で、錆緑色で、体にいっぱいの愛憎で愛情で、原物の現物だ…。
素敵だな。ものすごいな。最高だな。
なにか行き詰まった時、悲しい時、苦しい時、ゴキゲンハッピーな時、なにかが素敵でたまらないとき、この詩をいつもいつも読みます。
チャー坊を知って、冨士夫さんにもあえた。
チャー坊って言うのは恐れ多すぎるから、柴田和志さん、本当に出会えてよかったです。
もう感謝しかない。
「時々」と言わず、いつも思い出します。
思い出すじゃなくていつもその魂に魅せられていますm(_ _)m✨✨✨✨✨
もうすぐお誕生日。子供の日。チャー坊の日。
素敵だな。ものすごいな。最高だな。
楽しみです。
そして毎年5/5が近づくと、「あ!そうか!誕生日だ!」と気付く。
それが今年は今日だった。ナウ。
5/5、本当は5/6なのかなぁ。
もうすぐ村八分のチャー坊こと柴田和志さんの誕生日です(´∀`)
まだちょっと早いのだけど、待ちきれないので今日は誕生日前前前前前前夜ということで乾杯\( ´ω` )/🍷🍸🍶🍻🍺
こういう瞬間、やっぱり人間にはちゃんと目に見えない気というか、オバケじゃない霊、勘があるのだなぁ~と思うのです…👻👻👻
冨士夫さんが「水たまり」を演るとき、「チャー坊、おりてきてくれよ~」って言っていたのを思い出します(´ω`)
チャー坊さん!あたしのところにも片足の小指の爪先の先の先の先くらい、もしも降りてきてくれていると嬉しいなぁ。。。
あたしは、ライブでも音源でも物理的な意味でボーカル、ギター、ベース、ドラムを音、音色として捉えて聴いてしまう癖があるので、ボーカルを言葉として聴き取ることがなかなかできない…。
かっこよくて素敵なボーカル(声)だなぁと思っても音と同時に歌詞を言葉として聴くことができない…。
でもチャー坊の歌詞は、詩が音と一緒に、音と言葉で聞こえる。
なんでやろ。なんでやろ。
喋り言葉みたいな音楽で歌詞で詩。
なんでやろ。なんでやろ。
すごくて、すごすぎて、かっこよくて涙出る…。
「チャー坊遺稿集」の詩は何年経っても色褪せないし、付録の「裏の楽屋」や「アメリカの涙」もずっと…。
「裏の楽屋」
『 夢見ることだけを すべてと思ってきたが 今 その夢が消えていく』
「アメリカの涙」
『 あおいあおい空 もっと空気をきれいにしてほしい』
最後の詩。
(P285/「チャー坊遺稿集」より抜粋)
『 おれは ひっしでみつけたんだ
おれには 音楽や美術があるってね
わかってくれよ おれの事』
『 友よ 友がほしい』
『おれには ステージがあるぜ!
おれにはステージがあるぜ!』
『オレが死んでも時々思い出してくれるかい
オレが死んでも時々思い出してくれるかい』
感傷的なものがすきというわけではないけれど文字を指で何度も何度もなぞりました。
チャー坊の詩は簡単な言葉も難しい言葉も、こんなあたしの心にもすとんと着地する。
きっと言葉に言葉以上の気持ちや意味を背負わせないから。
言葉に背負わせるようなそんな意地悪やケチや横着な失礼をしないから。
言葉に背負わせたらいけない。
それは裏切り。言葉への裏切り。冒涜。
うら ぎ・る [3] 【裏切る】 ( 動 ラ五[四] ) ① 味方にそむいて敵側につく。 「 味方を-・る」 ② 人の 信頼にそむく 行為をする。 「 友人を-・る」 「 恋人に-・られる」 ③ 期待や 予想に 反する。 「 人々の 予想を-・る 成績」 [可能]うらぎれる 「 裏切る」に似た 言葉 » 類語の一覧を見る 売り込む 売渡す 密告 売る 背く
言葉に背負わせるということはまさに、自分が勝手にした「期待や予想に反する」結果になったとき、それを簡単に「裏切る」という言葉で要約し、相手を裏切り者と化すことだ…!
勝手に期待したのは、勝手に予想を立てたのは、勝手に思い込んだのはおまえだろう、自分だろう…!
それを相手や言葉のせいにするんじゃない…!
チャー坊の歌詞はそんな冤罪をやらない。
それ以上も以下でもない言葉で踊るように書いて描いてる。
言葉を自由にしてやってる。
自由に放してやってる。
言葉で遊んで言葉に遊ばせて言葉と遊んでる。
ギラギラしていて、尖っていて、だけどとっても可愛らしくて、可憐で、華麗で、能みたいで、ポップで、面白くて、可笑しくて、悍ましくて、ひずんでいて、か細くて、恋で、佇んでいて、地下室の手記みたいで、憎しみで、ぼろぼろで、陰鬱で、光で、夢で、希望で、絶望と希望追いかけっこで、白昼夢で夢うつつで、夕焼けで、裸電球で、裸の街で、錆緑色で、体にいっぱいの愛憎で愛情で、原物の現物だ…。
素敵だな。ものすごいな。最高だな。
なにか行き詰まった時、悲しい時、苦しい時、ゴキゲンハッピーな時、なにかが素敵でたまらないとき、この詩をいつもいつも読みます。
チャー坊を知って、冨士夫さんにもあえた。
チャー坊って言うのは恐れ多すぎるから、柴田和志さん、本当に出会えてよかったです。
もう感謝しかない。
「時々」と言わず、いつも思い出します。
思い出すじゃなくていつもその魂に魅せられていますm(_ _)m✨✨✨✨✨
もうすぐお誕生日。子供の日。チャー坊の日。
素敵だな。ものすごいな。最高だな。
楽しみです。