ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

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『タゴール』

2011年06月21日 | 

 『タゴール』/丹羽京子著 清水書院

 今年はタゴール生誕150年。

 インド人が誇りに思う自国人のナンバーワンは、マハトマ・ガンジー(モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)だと思いますが、その次はたぶんタゴールじゃないでしょうか。アジア初のノーベル賞受賞者だし。タゴールはインド人である前に、ベンガル人であるので、バングラデシュ(=ベンガル人の国)の人たちも、インド人以上にタゴールを愛しています。ただし、「タゴール」というのは、英語なまりの通称で、ベンガルでは、「ロビンドラナト・タクル」、ヒンディー語風で言うと、「ラビンドラナート・タークル」です。ミック・ジャガーがスペイン語では「ミゲーロ・ジャゲーロ」、それが日本語で訛って、「肉ジャガタラ」になったような感じ?(ホントかよ)

 オジ好きの私は、長身で白いひげをたくわえたタゴールの写真を見たときから、彼のファンですが、正直いって、詩はよくわからない。『ギータンジャリリ』を始め、何冊か読んではみたものの、ピンときませんでした。詩心がないといってしまえばその通りなんですけど、やっぱり短歌とか俳句とか、短い詩の方が胸に響く。そもそも詩って、ことばの語感とか音韻とかが重要だから、母語じゃないとよくわからないし…と、思い込んでいました。

 ところが、本書を読んで、私が読んだ『ギータンジャリ』は、ベンガル語でタゴールが書いた『ギタンジョリ』を単純に英訳したものではないということを知り、軽いショックを受けました。ベンガル語の『ギタンジョリ』を英訳したのは、作者であるタゴールその人なのですが、タゴールも音韻などをそのまま英語に置き換えることは不可能だということは百も承知で、英語で『Geetanjali』(『ギーターンジャリ』を出版するときは、あえて詩の形式ではなく、「散文訳」…説明的な訳の形にしたというのです。 著者の丹羽さんが、ベンガル語と英語からそれぞれ日本語に訳したものが本書に載っていますが、印象が全く異なります。『イーリアス』や『マハーバーラタ』も、もともとは叙事詩ですが、たまたま最初に読んだ『イーリアス』が、叙事詩形式の日本語訳だったのが、何度も読み返す大きな要因になったような気がします。『マハーバーラタ』は、物語形式にしても恐ろしく長く複雑で、詩として読む勇気はありません(^^;)。

 岩波文庫の『ギーターンジャリ』(←日本で一般的な『ギータンジャリ』よりヒンディー語の音に近い『ギーターンジャリ』)には、ベンガル語から訳した文語調の日本語訳と、英語から訳した散文詩の両方が収録されているそうですが、文語調となると、読者にもそれ相応の日本語力が要求されそうです。でも、本書に収録されているタゴールの詩や、ベンガル文学誌の『コッラニ』に掲載された日本語訳詩を読み直してみると、年を取ったせいか、昔より胸に響くものがありました。タゴールが自ら英訳した『ギーターンジャリ』を朗読したとき、それが散文訳であっても、聞いていた人は皆、感動のあまり席を立つことができなかったといいますが、音韻の効果を使えない外国語であっても、タゴールの言葉にはそれだけの力があるということなのでしょう。できることなら、意味がわからなくても、ベンガル語で朗読したタゴールの詩を聞いてみたい。20年ほど前に、「タゴール展」に行き、タゴールの描いた絵を見ながら、彼の作った歌を聞いたことがあります。アカペラだったか、簡単な伴奏がついていたかよく覚えていませんが、静かで魅力的な音でした。

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