ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

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Umrao Jaan (2006)

2009年04月04日 | 映画
 UMRAO JAANのアイシュワリヤー・ラーイ版。ストーリーはレーカー版(1981年)とほとんど同じですが、細部を少し変えています。レーカー版では、誘拐されたのは、アミーランだけでなく、友人の少女も一緒でしたが、アイシュ版では、ひとりだったり、娼館のハーナムやミルザーの描き方がちょっとずつ違っていたり。主人公のウムラオ・ジャーンにアイシュワリヤー・ラーイ、恋人のナワーブに、当時実際に恋人で、その後結婚したアビシェーク・バッチャンが配役されています。

 アビシェークはちょい役ですが、1981年のナワーブに比べると、もうちょっと男っぽいかな?アイシュはきれいだし踊りもうまいのですが、どうも娼婦という感じがしない。

 レーカー版では、踊りとガザル(詩)の才能を全面に押し出して、芸妓の教養を描いていたような気がしますが、アイシュは美人だけに、「顔を見たナワーブがひとめぼれ」という、やや単純な描き方をされていたような気がします。レーカー版では、ナワーブも詩が好きで、お互い、詩の才能に惹かれたという描き方でしたが、今回はガザルについては、最初にちょっと出てきただけで、ほとんど出てきません。加えて、レーカー版では、自分が娼婦だという立場を最初から認識していたのに、アイシュ×アビシェークは、もう最初からベタベタ…実生活でもそういう状況だったでしょうから、しょうがないといえばしょうがないか。ナワーブに指名され、ナワーブの専属になったときから、ただの「ウムラオ」から「ウムラオ・ジャーン」に呼び名が変わるというのがわかりました。「ジャーン」には、「恋人」とか「愛人」という意味があるんですね。

 見比べると、やはりレーカー版の方がいいと思ってしまいます。レーカー版のウムラオ・ジャーンの方が、いっそう悲劇的で、レーカーの方がずーっと不幸そうだし。アイシュのウムラオは、泣いたり笑ったり、表情が豊かでしたが、レーカーの、睨みつけるような無表情な顔の方が、よりいっそうウムラオ・ジャーンの不幸を表現していたような気がします。人間、耐え難い哀しみには、感情を押し殺して、目の前にある事柄に事務的に(プロフェッショナル)に対処することで耐えるような気がします。

 唯一、シャバーナー・アーズミーが演じていた娼館の女主人、ハーナムは1981年版よりよかったです!カーッコイー!(ちょっと奈良岡朋子さんみたいでした)
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