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フランドルの画家 レンブラント ウフィッッイ美術館 フィレンツェ

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます。#コロナ差別をやめよう

 
フランドルの画家 レンブラント ウフィッッイ美術館 フィレンツェ


 
ウフィッッイ美術館 49室 レンブラント・ファン・レイン 1606-1669


レンブラント若き自画像 1634 A Rabbi 1665 自画像1669


 『レンブラント・ファン・レイン』はこの時代にはフランドルに位置付けられた画家です、居住地が『ルーベンス』は『アントワープ』で、『レンブラント』はアムステルダムだったので、『ウフィッッイ美術館』では、『ルーベンス』は55室の『フランドルの画家』
に分類され、『レンブラント』は49室の『オランダの画家』に分類されています。

 この時代には、『オランダ』も『ベルギー』もありませんでした。




『若き頃の自画像』1634 


 『レンブラント』は生涯を通じて自画像を描き続けました、本作品は計算すると彼が28歳ぐらいの時の作品です、次第に絵が売れ出したころの夢と希望に満ちた表情が魅力的です。

 髪の毛の一本一本が丁寧に描かれ、衣服も、ビロードや、皮、そして金属の飾り物など、それぞれ違う素材が描き分けられており、帽子はこの頃のはやりだったのでしょうか、おしゃれですね。



 
" A Rabbi" 1665


ラビとありますから、イスラム教の宗教家でしょうか。彼が、59最晩年の作品ですね。

 彼はアムステルダムに大工房を経営して、かなりの財を成しました、『サスキア』という美貌で、最愛の妻と一緒に酒場にいる絵は『若き頃の自画像』の次の年頃に書かれました。

 しかし、『サスキア』がなくなると、彼の生活は一変しました。だんだんと下りのスパイラルにとらわれていったのです。

 極めつけは、雇っていた乳母や愛人との関係です、『サスキア』はかなりの資産を持っており、その資産は『レンブラント』が結婚すると没収されてしまうことになっていました。
 ということで結婚をしない絵関係を続けていたために窮地に陥ります。




 
自画像 1669


 これは彼がなくなった年に書かれたものです、レンブラントの生活は、結婚問題で訴えられる頃から、さらに下降していきます、そして描かれた自画像を見ると、若き人はかなり違った、絵になっています、そこにいるのは、背景に消え入りそうで、身なりもそれほど良くない老人の姿が描かれています。

 視線も前と違い何となく弱弱しく、さえない表情に描かれています。

 『レンブラント』の絵を見たい人は、ぜひ『アムステルダム国立美術館』に行ってください。修復作業が終了した『夜景』などたくさんの絵を鑑賞することができます。

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