熊本から気ままに山と自転車のブログ

古墳改葬碑・遭難碑

長洲町古墳改葬の碑・長洲遭難の碑
2019/5/28(火) 曇/晴

今日の天候は、雨のち晴予報。
明け方降っていた雨もあがり、雲が明るさを増してきたので、午前9時半からポタリングに出る。
方向は北、玉名市、長洲町方面。

長洲町新山に移動し、長洲遭難の碑(写真8参照)を見る。


その説明板(写真9参照)
380名余出漁し、助かったのは50名余、320名の死者がでたという明治26年10月14日の遭難の碑である。


古墳改葬の碑(写真10参照)がある。


その説明板(写真11参照)
「島原大変、肥後迷惑」と言われる眉山崩壊による津波被害の碑である。
寛政年間のこと、肥前、肥後合わせて1.05余人の犠牲者が出たという大災害であった。(宇土半島一周№8)
当時の長洲では、およそ600名の犠牲者があったという。


救援隊並びに遭難者の碑(写真12参照)がある。


その説明板(写真13参照)
明治28年7月24日、救援に向かい犠牲になった7名の若者と、遭難した漁民22名の冥福を祈って建立された。


帰路の所要時間を約3時間として、17時帰宅を目標に帰路に就く。
きょうも途中コンビニにより氷菓を食する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)39km→古墳改葬の碑39km→熊本(自宅)所要時間8時間(実6時間) 総計78km 走行累計28,671km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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