熊本から気ままに山と自転車のブログ

下高橋御高札場跡・泉福寺跡

下高橋御高札場跡・泉福寺跡
2020/7/4(土) 曇/ときどき晴

4日未明、熊本・鹿児島県境、球磨人吉地方に大雨による水害が発生した。お亡くなりになられた方水害に会われた方に、お悔やみとお見舞い申し上げます。
110mm/時間雨量だったと云う。息もできないような降雨だったと想像するが、地球温暖化はほっておけない地球規模の課題と思う。

天候は曇り/ときどき晴れ、最高気温29°湿度75~80%と蒸し暑い。
午後13時半から山鹿市鹿本町の米嶋八幡宮・泉福寺跡探訪ポタリングに出る。
往路は美風だが追い風、帰路は強風の向かい風でペダルが重かった。

往路は前回とほぼ同じく、熊鹿ロードを走り植木温泉辺りから合志川堤防道路を走り、中川橋で菊池川を渡る。
国道325を横断し、米嶋八幡宮を目指して鹿本町下高橋地区を通る。
藩政時代の山鹿市指定文化財御高札場跡の標柱(写真1参照)がある。
阿蘇凝灰岩製の柱と屋根がある掲示板がある。板表面が黒く炭化しているので相当に古く、藩政時代の御高札場そのものか?


掲示板の左側に六地蔵(写真2参照)が御座る。


碑文の写し(写真3参照)がある。
「下高橋六地蔵碑文(1765建立)本村は三丁左より東北によりしところにありしも多湿にして上下に病患多く農業のためやむべからず、故に明和二乙酉年公に訴え居を此地に移し老小相談して六道教主建立し村栄を祈るのみ。」とある。


鹿本町庄地区米嶋八幡宮(写真4参照)に移動する。


楼門には茅の輪(写真5参照)が設置してあり、潜らせて頂いた。


拝殿には立派な注連縄(写真6参照)が掛けてある。


八幡宮を後にして、泉福寺跡に移動する。
背の高さ程の大きな板碑と、少し小さい板碑(写真7参照)がある。
山鹿市文化財に指定されている。


御堂右側に「山鹿市指定文化財泉福寺跡毘沙門天像」の標柱(写真8参照)がある。
「泉福寺」をWeb検索したがヒットがない。「庄」と云う字名からしてこの地域の中心的集落であったろうと推測する。その文化的拠点として古代・中世に建立された寺院ではなかった考えた。


御堂左側には泉福寺礎石の一つと思われる石(写真9参照)がある。


御堂(写真10参照)。入り口の扁額は、前回(下記)のブログを参照下さい。


本尊の毘沙門天像(写真11参照)は、格子連子の隙間から写真を撮ったのだが、フラッシュが格子の陰になり上手く映らなかった。フラッシュなしで撮って編集した方がよかったか。


向かい風のなかを帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→29km泉福寺跡28km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4.5時間) 総計57km 走行累計34,574km


米嶋八幡宮の樟
2020/7/1(水) 曇/晴

天候は曇り/晴れ、最高気温28°と夏日だが蒸し暑い。午前11時過ぎから山鹿市菊鹿町の山鹿市指定文化財「石工仁平墓碑」探訪ポタリングに出る。

帰路途中に、熊本県ふるさとの樹木指定米嶋八幡宮の樟(写真7参照)を見る。


樟の全景(写真8参照)
高さから云えば別の樟が高いが、根回りはこちらが大きくやはりご神木はこちらか。


向かい風のなかを帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→30km石工仁平墓碑30km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計60km 走行累計34,517km


泉福寺跡
2015/12/9(水) 晴

黄金塚古墳を後にして五社宮へ移動する途中、米嶋地区を通ると地区中心部に板碑が見えたので立ち寄ってみる。
梵字が刻んである板碑が2枚建っている(写真1参照)。


その前には、龍徳山という山号をもつ御堂(写真2参照)がある。


毘沙門天(写真3参照)という。
富ノ尾古墳の場合は不動明王だったが、この毘沙門天は何を守っているのか?守るべき主体は、もしかして古墳被葬者だった?板石は石室構造材の一部か?などと想像する。
泉福寺跡毘沙門天の場所:(マップファン地図)

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

名前:
コメント:

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

最新の画像もっと見る

最近の「肥後国古代史跡・文化財探訪記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事