2019/12/12(木) 晴
今日の天気は晴、最高気温予想は13°とすっかり冬本番。
寒い北風に逆らってポタリングに出る。
目的地は菊池市泗水町のキリシタン墓碑と上木庭のキリシタン墓地だったが、時間の都合で上木庭は次回にして、北宮阿蘇神社となった。
キリシタン墓碑(写真1参照)は、菊池市泗水町公民館ロビーの一角に展示してある。
後ろに廻って(写真2参照)観る。
かまぼこ型の墓石は、玉名市伊倉の吉利支丹墓碑と同じ形。
説明板(写真3参照)は、「文字は後から刻まれたものと思われる」「もとは泗水町福本にあった」とある。
その隣には、箱型石棺(写真4参照)の展示物がある。
農業基盤整備事業で削平された古墳のものと思う。
朱の顔料が残っている。
反対側から観る(写真5参照)
掘削されたものを持ち込まれたものと思うが、せめて形だけでも復元して展示頂きたいと思う。不足部材は石膏でもいいのではないだろうか。
その他にも古代の遺跡からの発掘品(写真6参照)が展示してある。
こちらの展示物(写真7参照)には、二枚貝や牡蛎の海産物もあるが、発掘地の表示がないので一般論としての参考品なのか、内陸の当町内遺跡からの発掘品であれば合志川を利用し水運による有明海沿岸部との交易品ということになるが・・・。
土器類の復元物(写真8参照)
こちらの土器類(写真9参照)には、布目瓦もある。八弁菊紋か。
旭志村上家の墓・キリシタン墓地
2019/12/3(火) 晴
今朝の気温は5.5°最高気温予想は12°。ピリピリするような風もまた爽快?とポタリングに出る。が、現実は厳しい、手袋が夏仕様で指先が冷える。
目的地は、途中植木図書館により、菊池市のキリシタン墓地とする。
植木文化センターから岩野山の東側を通り、小野川沿いに下る。合志川との合流点から合志川沿いに東上する。
泗水町の国道387に出た時点で正午を過ぎていたので昼食として、さてその先は・・・と考えた時、このまま合志川沿いを旧旭志村へ走り、津留地区キリシタン墓地を目指す。
国道325を横断し、旭志小学校を過ぎ、旭志村中心市街地から南方向の丘を見ると、中腹に桜の木と墓石が見える。そこが「村上家の墓・キリシタン墓地」(写真1参照)がある旭志新明津留区墓地公園。
説明板(写真2参照)を見る。村上家とは、武蔵流兵法を受け継ぎ、二天一流の兵法を治める家柄であったとある。
また、隠れキリシタンとみられる墓碑が現存しているとある。
隠れきりスタンは、天草・島原と思っていた昔の知識は否定され、意外な広がりを知る。
墓地に上がって右奥に行くとキリシタン墓地(写真3参照)と思われる墓域がある。
墓石が傾いだので十字も傾いだものと思うが、少し左側に傾いだ十字(写真4参照)を見る。
墓石正面側(写真5参照)から見るが、文字は見えない。
すぐ近くに塚(写真6参照)がある。
菊池市の文化財一覧にこれに該当する史跡はないので、古墳である確証はない。
墓地入り口から左側に村上家の墓石(写真7参照)がある。
五輪の塔になっている。
左側の墓石の裏側に廻って見る。
「兵法天下一、新免武蔵守藤原玄信」(写真8参照)の文字が見える。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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