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熊本から気ままに山と自転車のブログ

菊池五山西福寺・延寿太郎屋敷跡

菊池五山西福寺・延寿太郎屋敷跡
2020/11/28(土) 曇/晴

味取観音を後にして菊池市西寺に移動する。
西寺地区の東西に延びる道路の西の正面に立派な墓石か?地蔵尊?(写真1参照)が見えた。


西福寺(写真2参照)と云い、この地区中心に位置する。


説明板(写真3参照)があり、「この寺は和銅2(709)年の開基と伝えられ、西寺という地名の語源ともいわれています。菊池氏15代武光により菊池五山が定められたときにその一寺とされました。本尊は阿弥陀如来で、室町時代末期の制作と推測されます。裏の墓地には、10代武房の弟赤星有隆の墓があります。」とある。


隣に八幡宮(写真4参照)が鎮座する。


立派な社殿(写真5参照)がある。


唐破風の拝殿入口(写真6参照)は、彫刻が見事である。


複雑な竜の彫刻(写真7参照)が施されてある。


神殿正面の軒壁の彫刻(写真8参照)


右側に廻って北側の軒壁(写真9参照)


神殿柱頭の彫刻(写真10参照)


八幡宮を後にして、国登録有形文化財の家を探して地区内を西に向かうと八坂神社(写真11参照)が鎮座する。


菊池遺産説明文(写真12参照)に、延寿太郎屋敷跡とある。


もう一枚の説明板(写真13参照)では、「延寿太郎屋敷
菊池市に刀鍛冶として使え、延寿の祖となった延寿太郎国村が、砂鉄の採取や用水・交通の便が良いなど、製鉄に適していたここ西寺に屋敷を構えました。
延寿は同田貫と共に肥後に於ける代表的刀工で、後に「菊池千本槍」と呼ばれる槍を作っています。
延寿の他にも砂鉄採取やたたら(製鉄)の技術者をはじめ、研師(とぎし)・鍔(つば)の細工師等の技術者も往来し、刀工村としての形態を整えて行きました。
延寿一族は、この屋敷を本拠地として二百数十年にわたって栄えて来ました。
現在は八坂神社が建てられ、父広村(菊池延寿)と共に、延寿大明神として祀られています。」とある。


拝殿前に井戸(写真14参照)がある。


平成三年三月に刻まれた石文(写真15参照)に、上記古井戸のことが肥後国誌等に記されているとある。


この後も国登録有形文化財の家を探して地区内を廻るが、発見できず諦めて14時前、帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)32km→西寺諏訪神社25km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計57km 走行累計36,794km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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