読書と映画をめぐるプロムナード

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「パリのめぐり逢い」(フランス、イタリア/1967年)

2006-11-09 05:50:33 | 映画;洋画
監督:クロード・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ
出演:イヴ・モンタン 、キャンディス・バーゲン 、アニー・ジラルド 、アミドウ

古い映画。フランシス・レイの音楽がこの映画を彩る。検索して初めて、イブ・モンタンとマリリン・モンローの関係、キャンディス・バーゲンとルイ・マルが夫婦であったことを知る。映画の「キャンディス」役は、まさにバーゲンを思わせる。クロード監督がキャンディスのために撮った映画のようだ。

<ストーリー>
「フランスのTV界でもトップクラスのニュース・リポーター、ロベール・コロンブ(イヴ・モンタン)は、妻のカトリーヌ(アニー・ジラルド)との間が、決して不満だらけというわけではないが、単調な日常生活の繰返しに耐えられず、時には恋のアバンチュールを楽しんでいた。そんなある日、彼はキャンディス(キャンディス・バーゲン)というファッション・モデルをしながらソルボンヌ大学に通う娘と出会い、そのみずみずしい知性的美しさに強くひかれた」。

「TV局からの電話で、アフリカへ取材に出かけることになったロベールはキャンディスに同行を誘うと彼女はすぐに同意した。ケニア砂漠での二週間は、二人の間をさらに深く結びつけ、野生の猛獣撮影が成功した夜、二人は初めてベッドを共にした。パリに帰ったロベールは、カトリーヌの発案で、アムステルダムへ休暇旅行に発った。久しぶりで夫婦は語りあい、愛しあった」。

「そしてある日、ロベールはアムステルダムまで彼を追ってきたキャンディスの姿を見た。彼は二日だけ仕事でパリに帰ると妻に告げてキャンディスの待つホテルに向った。しかし、帰ってきたロベールを見て、カトリーヌはすべてを察し、パリへ帰る途中のブラッセル駅で一人降りてしまった」。

「パリへ帰ったロベールは、キャンディスと一緒の生活をはじめた。しかし、その生活はなぜか空ろで虚しかった。ベトナムへの取材旅行をきっかけにロベールはキャンディスとの別離を決意し、その旨を伝え出発した。日が流れた。ベトコンの捕虜になり解放されたロベールは、カトリーヌを探してアルプスの近くの町へ走った」。

「カトリーヌはロベールを友達として暖かく迎えてはくれたが、その時ロベールは、彼女はすでに自分の妻としては遠い人であることに気づき、静かにわかれを告げて外に出た。だが、雪におおわれた車のフロント・ガラスをはらい落した時、彼は再びその中に妻の笑顔をみたのだった」。(goo映画)

クロード・ルルーシュは、「1937年10月30日生まれ、フランス・パリ出身。子供の頃から映画の撮影に興味を抱き、56年から16ミリの短編映画を撮り始める。60年の"L' Amour avec des si "で長編監督デビュー。66年の『男と女』がカンヌ映画祭グランプリなど各賞を受賞、一流監督の仲間入りを果たした。68年の「白い恋人たち」はグルノーブル冬季オリンピックをドキュメンタリー・タッチでとらえ、その作風が話題を呼ぶ。自らからのプロダクション『フィルム13』を設立し、大人の恋愛を描いた作品を発表し続けた」。

イヴ・モンタン(Yves Montand,1921年10月13日-1991年11月9日)は「イタリアで生まれ、フランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。本名Ivo Livi。生まれてすぐに家族でフランスに移住。マルセイユで育った。港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944年にエディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の関係は数年の間続いた」。

「1945年に映画デビュー。1946年に出演した『夜の門』で、主題歌の『枯葉』を歌ってヒットさせた。1951年に女優のシモーヌ・シニョレと結婚。2人はいくつかの作品で共演している。モンタンの浮気がスキャンダルになったことが何度もあったが(マリリン・モンローの時は、シニョレが自殺未遂を起こしている)、1985年に彼女が亡くなるまで一緒だった。モンタンはその後、彼のアシスタントだった女性と結婚、1988年に息子をもうけた。 モンタンが亡くなった時、みのもんたが死んだと、勘違いした人がいたという」。

*エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 - 1963年10月11日)は、「フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。有名な曲としては<ばら色の人生 La vie en rose>(1946年)、<愛の賛歌 Hymne à l'amour> 1949年)、<ミロール Milord>(1959年)、<水に流して Non, je ne regrette rien> (1960年)などがある」。


キャンデス・バーゲンは「1946年5月9日生まれ、アメリカ/カリフォルニア州ビヴァリーヒルズ出身。本名はCandice Patricia Bergen。父は有名な腹話術師のエドガー・バーゲン。母も女優。芸能一家の家柄ながらその世界をきらい、14歳でスイスに留学。帰国後ペンシルバニア大学で美術史と絵画を専攻するが、カメラに興味を持つようになり、その資金調達のためにモデルの仕事をしているところをシドニー・ルメットの目に止まり、熱烈は説得交渉を受けて66年『グループ』で映画デビュー」。

「しかしニュー・シネマの波に乗ることは無く低迷するが、70年代中盤からは演技派としての実力を発揮し出し、79年の「結婚ゲーム」でアカデミー助演賞にノミネートされた。その一方ではカメラウーマンとして頭角を現し、『ヴォーグ』、『コスモポリタン』といったファッション誌に写真を発表したり、ニクソン訪中やチャップリンのアカデミー特別賞受賞シーンなどを『ライフ』誌に発表して高い評価を得ている」。

「このあたりの活躍も配慮されて82年に『ガンジー』でフォト・ジャーナリスト役に抜擢されたとの噂もある。88年からはTVシリーズ『TVキャスター マーフィー・ブラウン』に主演し、エミー賞とゴールデングローブの主演賞を受賞した。私生活ではいろいろと噂があがったが、81年、ルイ・マル監督と電撃結婚して話題になった(91年死別)。00年に再婚」。


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