読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「ローマ人の物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)」(塩野七生著/新潮文庫)

2006-04-22 20:44:00 | 作家;塩野七生
第五章 壮年前期 Virilitas(ヴィリリタス)(承前)
紀元前60年~前49年1月(カエサル40歳~50歳)

ガリア戦役六年目(紀元前53年)
ライン再渡河、ガリアとゲルマンの比較論、クラッスス、パルティア遠征、首都の混迷

ガリア戦役七年目(紀元前52年)
ヴェルチンジェトリックス、ガリア総決起、カエサル撤退、アレンシア攻防戦、「ガリア戦記」刊行

ガリア戦役八年目(紀元前51年目)
戦後処理(一)、戦後処理(二)
ルビコン以前
「カエサルの長い手」、護民官アントニウス、「元老院最終勧告」、ルビコンを前にして、二人の男のドラマ、「賽は投げられた!」


「私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるとう点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並みの指揮官でしかないと思う。戦闘も演奏に似て、長い準備の後の数時間で決まる」と著者は述べる。このことは、いろんな分野に言えることである。棋士の羽生善治氏も、現在の対局では中盤までの七割の棋譜を決めておき、勝敗を決するのは残り三割というのが定石になっていると述べている。

また、著者は次のように述べる。「私個人は、先にも述べたように、虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意思であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるに必要な力は不可欠である。ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の『危険でない人』である」。

「他者からどう思われようと意に介さず、かつ公的にはやり遂げたい何ものかをもたない人は、実質的な隠居人生に徹するほうが、人間社会に害をもたらさないですむのではないか。古代ではそのようなライフ・スタイルを、エピキュリアンと呼んだ。これとは反対に、何かをやることで人間社会に積極的にかかわるライフ・スタイルを選んだ人を、ストア派と呼んだのである」。

本編の見せ場は、「ガリア戦役七年目」でのカエサルとガリア民族、決起諸部族総司令官ヴェルチンジェトリックスとの正面対決だ。そのクライマックスは「アリシアの攻防戦」。カエサルは、五万を欠く戦力で、内と外を合わせれば三十四万近い敵を相手に闘ったのであった。

「現代イギリスの研究者の一人は、書いている。『アリシアの攻防戦が、ブリタニアもふくめて、ピレネー山脈からライン河に至る地方の以後の歴史を決定した』と」。

「学者たちの試算によれば、ガリア戦役当時のガリア全域の人口は、一千二百万前後であったとされている。人口が予想外に多いのは、ガリアが気候地質とも農牧業に適した地で、その点では豊かであったからである。豊かであったからこそ、ゲルマン人も侵入を常に試みたのだ。プルタルコスの記述を信ずるとすれば、カエサルのよる八年間のガリア戦役で、百万人が殺され百万人が奴隷にされたという」。

<八年にわたる戦役を制し、ついにカエサルは悲願のガリア征服を成し遂げる。クラッススが死亡し、「三頭政治」の一角が崩れ、カエサル打倒を誓う「元老院派」はこの機に乗じてポンペウスの取り込みを図る>。新秩序樹立のためカエサルは、「元老院最終勧告」に対し国法違反をものともせず、ルビンコン川をわたる。「賽は投げられた」。

「賽は投げられた」(フリー百科事典より)
ルビコン川はイタリア北部を流れる川で、共和政末期のローマにおいてローマの本土であるイタリアと属州の境界線をなしていた。紀元前49年1月10日、ガイウス・ユリウス・カエサルが「賽は投げられた」の言葉とともにこの川を渡ったことはよく知られている。

カエサル以前はイタリアと属州ガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリア)を分ける古代ローマの北の防衛ラインとされ、軍団を連れて、この川を越えて南下することを法により禁じられていた。

現在もルビコーネ(Rubicone、イタリア語で同じ意味)という川がリミニの北にあり同じ川だとされているが、カエサルの時代から約2000年も経過していて当時とは流れている場所がかなり変ってしまっている。よってカエサルがこの川を渡った地点ははっきりとわかっていない。


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