読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

華道家にして映画監督「勅使河原宏」と「利休」

2007-04-14 08:11:55 | 映画監督
勅使河原 宏(てしがはら ひろし、1927年1月28日 - 2001年4月14日)は、「華道三大流派と呼ばれるうちのひとつ、『草月流』三代目家元、映画監督。1927年1月28日、東京都出身。草月流創始者、勅使河原蒼風の長男。夫人は女優の小林トシ子」。 「東京芸術大学に進学後、油彩画を専攻する。在学中、岡本太郎や安部公房らによる前衛芸術グループ『世紀』に参加。安部公房の原作・脚本による映画作品を多 . . . 本文を読む

東洋三部作を描いた巨匠「ベルナルド・ベルトリッチ」監督

2007-03-16 20:57:06 | 映画監督
写真を見るとロバート・デ・ニーロかと見間違えます。ベルトリッチ監督は東洋三部作をなぜ撮ったのか?「シネママガジン」には「映像を詩としてとらえる彼のスタイルが、東洋の神秘と相まって、さらに英語<ポピュラーだが、この上なく対極的な言語>を取り入れたことで、かつてない新しいエンターテインメントの創作に成功した。そのどん欲なる探求心。ベルトルッチの技のすごさは、別の芸術や他国の文化を、次々と吸収していくこ . . . 本文を読む

~戦争ものからヒーローものへ~円谷英二の世界

2007-01-25 06:34:40 | 映画監督
私たちの子供頃は大人たちが実に献身的に空想世界を提供してくれた時代。それを、実写という形で映画やテレビを通して見せつけてくれた第一人者が円谷英二。彼の生涯をウィキペディアから辿ってみる。 円谷 英二(本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月7日 - 1970年1月25日)は、「福島県須賀川市生まれ。昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功 . . . 本文を読む

20世紀前半で最も成功した映画製作者「セシル・B・デミル」監督

2007-01-21 04:16:40 | 映画監督
セシル・B・デミル(Cecil Blount DeMille, 1881年8月12日 - 1959年1月21日)は、アメリカ合衆国の映画監督。1913年以降の監督第1作からエジソンの作った映画特許会社MPPC(→スタジオ・システム)の手から逃れるためにハリウッドで数多くのサイレント映画の短編作品を制作した。 一昨日取り上げたヘディ・ラマー主演の「サムソンとでデリラ」も彼の作品である。1913年か . . . 本文を読む

深作欣二が挑んだ「暴力」

2007-01-12 06:23:01 | 映画監督
「仁義なき戦い」と「バトル・ロワイアル」、この二本の映画で深作監督を語るのは後述するように彼の映画監督としての評価を半面しか見ていないことになりますが、今回はこの二本に絞って取り上げたいと思います。まずは、「仁義なき戦い」。 「1973年、東映配給網により正月映画第2弾として公開されたヤクザ映画。シリーズを通しての主演は菅原文太。この映画はヤクザを主人公にはしているが、優れた群集活劇でもあり . . . 本文を読む

伊丹十三のやるせない「自殺」

2006-12-20 07:29:56 | 映画監督
「1997年12月20日、写真週刊誌『フラッシュ』により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して『死をもって潔白を証明する』との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も非常に多い」。 「それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に『妻に聞いてみればいいよ』と笑いながら、全く意に介さず『いつものことだから』のように . . . 本文を読む

年収350億の映画監督

2006-12-18 05:16:31 | 映画監督
松坂大輔のレッドソックス入りで6年60億というその年俸が報道される一方、トロント・ブルージェイズは、大黒柱のバーノン・ウェルズ外野手に7年で約148億円の7年契約と報じている。また、2010年で契約が切れ引退が噂されているアレックス・ロドリゲスのその10年契約は350億だったと記憶している。しかし、上には上がいる。一年で350億を稼ぐのがスピルバーグだ。 スティーヴン・アラン・スピルバーグ KB . . . 本文を読む

無冠の名監督「マーティン・スコセッシ」

2006-11-27 07:00:16 | 映画監督
「ウッドストック」、「ラストワルツ」、マイケル・ジャクソンのミュージック・クリップ「BAD」演出、「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」を手がけた映画監督。音楽史上に名を残す名作に残すその足跡、もうそれだけ十分だと思う。しかし、彼の本懐「アカデミー監督賞」はいまだ彼の手に落ちてはいない。彼にハリウッド・ミューズはいまだに訪れてはこない。 私が観た映画だけでも、「アリスの恋」(1974年 . . . 本文を読む

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手「フランソワ・ロラン・トリュフォー」

2006-10-21 07:21:03 | 映画監督
ヌーヴェルヴァーグの代表的な映画監督。しかし私にとってトリフォーは70年代の映画人。その映画はよくマスコミの話題にも上った。1977年のスピルバーグの『未知との遭遇』でクロード役をやっているが、どういういきさつで出演するようになったのかはわからない。 まず、ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vagueを抑えておきたい。「1950年代の末から1960年代にかけて起こったフランスにおける映画運動 . . . 本文を読む

「日本映画の父」牧野省三

2006-09-22 07:53:29 | 映画監督
「日本映画の父」といわれると、私などは黒澤明の名をあげたくなる。しかし、日本最初の映画監督でこの称号を持つのは牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日-1929年7月25日、京都府生れ)だ。黒澤 明が1910年の生まれだから、親子間の世代差があることを知るとなるほどと思う。彼の生涯をフリー百科事典から辿る。 「京都北部の北桑田郡山国村(現・京都市右京区に生まれる。父は、明治維新時の民 . . . 本文を読む