作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

風のそよぎ

2010年07月18日 | 日記・紀行

                                                  

                         

風のそよぎ

風の戦ぎ、
山から落ちる、水のせせらぎ、
カラスやウグイスたちの鳥の鳴き声、
芝刈り機のエンジンの音、遠くから聞こえてくる。
私の全身を撫でながら過ぎてゆく、
山頂から吹き下ろしてくる風。
眼を瞑ると、
梅雨明けの青空から日差しは消え、
私の瞼の血の色である深紅の世界に、
鎖される。

私のこの全身の感覚が、
今自分の生きていることを実感させる。
死とはこの五感のすべてを喪失した、
無の世界に他ならない。
しかし、たとい
私の生がなくとも、世界はある。
私は私の前世を忘れてしまっているが

いつか、
無限の時間と空間を旅した後に、
いつかどこかで再び私自身に出逢うことがあるに違いない。
だが、そのとき新しい私は今の私を思い出すこともない。
それが反復であることすら気づかない。―――――

道路の側壁に腰を下ろし、
そこから市内を眺望していても、
誰一人行き過ぎる人もいない。

空を見上げると、
先ほどまであった小さな入道雲の子供は、
姿を消し、
真っ白なかき氷の山に姿を変えている。

うとうと寝そべっている私に、
「おい、A」と、
少年時代の友人が呼びかけたような錯覚にとらわれる。

キュウリも茄子もまるまると太って、
その重みに茎も傾いでいた。
収穫して行って、彼らの身を軽くしてやろう。

                                  

 


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2 コメント

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悠久な感じ (pfaelzerwein)
2010-07-21 03:37:17
画文も素晴らしいですが、場所も良さそうですね。悠久な感じが日本離れしてます。
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西行の空 (そら)
2010-07-22 16:06:22
pfaelzerweinさん、そちらもお暑いようですね。こちらも梅雨の間の長い雨を抜けたかと思うと、昨日今日の全国的な真夏日の到来です。しかし、ドイツで暑いといっても、日本の北海道に相当するそうですから。何せ、日本の夏は湿度からいっても熱帯並みのようですから。

最近の貴ブログにワインの話題が多いようですが、残念ながらというか、ワインの嗜みはわたしにはありません。

コメントをいただいたわたしの記事に載せた写真は、わたしのお気に入りの場所から撮ったものです。ここからは市内を静かに見渡すことができます。桓武天皇のお后、藤原乙牟漏や西行も眺めた同じ空です。

「悠久な感じが日本離れしてます」か?。現代社会は、ドイツも同じでしょうが、日々が金と経済に追われています。経済が第三次産業化して、人々の暮らしが農業や酪農など、自然の営みから遠く離れてしまった結果でもあるのでしょう。

そういえば、わたしは井の中の蛙のように、一度もこの狭い日本を離れたことはありませんが、精神的にはむしろ何か西洋人に親近感を感じます。といっても学生時代に学校の近くに下宿していた欧米人たちの仲間と友達になった時以来、彼らとのつきあいはありませんが。戦後民主主義の日本人には、戦前の日本人以上に――これもわたしがかってにイメージしているだけですが――かったるさを感じています。これにはどうしようもありません。

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