5/3(祝火)に安土城へ行った帰りに、 超光寺の鐘も見てきました。
滋賀県では「飛び出し坊や」という子供の看板が 流行っている?らしく、
道端のあちこちに立てられています。
静岡県では見た事がないので、写真を一枚(^^)
超光寺では、憲法記念日にきちんと国旗を掲揚していました。
さて、
三年前に来た時には、全く気にしていなかった 鐘楼の鐘ですが、
今回は銘文をチェックしてきました。
ということで、超光寺の鐘の銘文、
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照峯山超光寺第四世法
光院鏡圓上人者領主安
土惣見寺寛沖大和尚之
時開基贈大相國一品泰
岩大居士信長公二百五
十回忌法會天保二年六
月執行供養之爲大梵鐘
新鋳發願應特命而独力
經営供進矣領主嘉賞訣
功績而寛永二十年鋳造
之舊鐘下賜干鏡圓以爲
超光寺法器拝受爾来一
百二十星霜間晨橦夕撃
矣昭和十六年秋十月滋
賀縣知事近藤壌太郎閣
下安土史跡顕彰之爲有
惣見寺還付之懇請超光
寺住職檀信徒一同奉命
拝承仍而賜斯洪鐘者也
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銘曰
興亜戦時 舊鐘還元
新鋳洪鐘 藤公恵賜
昭和聖代 曾祖鏡圓
古功實現 末裔満悦
繖岳西麓 麗湖東畔
靈杵暁撞 梵音夕傳
頓覺迷梦 普益顕冥
天長地久 國豊民安
佛曰増輝 邦家泰寧
皇紀二千六百一年晩秋良辰
第六世照峯山超光寺住職
本願寺布教使宗務所出仕
親授壹等清谷恵眼謹識
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鋳工人
近江國長濱
第十五世 西川徳左衛門
藤原重久
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ということで2010-01-30の考察はだいぶ違っていました。
銘文によると、天保二(1831)年に見寺の鐘を作った功績で、
寛永二十(1643)年の鐘を見寺から貰い、
現在超光寺にある鐘は、昭和十六(1941)年に、
元見寺の寛永二十年の鐘を滋賀県知事の要請で
見寺に戻す代りに贈られたものと書かれているので、
現在の見寺にある鐘は、寛永二十年鋳造の鐘で、
吹田の大光寺にある寛永二十年の見寺銘が彫られた鐘は、
天保二(1831)年に鋳造され、作られた時に
旧銘が彫りこまれたものと考えられます。
見寺文書の
「天保二年辛卯五月廿六日鐘供養雑記」によると
天保二年正月に、鏡円法師が鐘の新調の話を出した時に、
最近鐘の鳴りが悪くて、須田村まで音が聞こえにくい、
といった理由が挙げられているので、
一般的に考えて、新しく作られた鐘は、音を大きくするために
寛永二十年の鐘より大きく作られたはずで、
現在の見寺に懸けられている鐘の口径は64㎝で、
吹田の大光寺の鐘の口径が64㎝より大きければ、
大光寺の鐘は、天保二年に鋳造された旧銘の鐘で決定!となるのですが・・・。
結局、創建時の見寺の鐘は、
いまだに見つかっていない、という結論になりました。
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