二週間も垂木支割りの計算を続けてると、いいかげん飽きてくるので?
今日はちょっと簡単な考察を・・・(^^)
見寺の表門は、記録によると表四足門との事で、
発掘調査報告書の復元案にも、
四足門の平面図で復元図が書かれています。
ところが、発掘した礎石の配置図を見ると、
あきらかに、薬医門の礎石配置だと思われます。
では、なぜ薬医門の礎石配置をしている表門の記録が、
四足門とされたのかというと・・・
大型の薬医門は、前面の軒の垂れ下がりを防ぐために、
修理時に、親柱の前に控柱を入れて支える事がよくあり、
見寺においても、江戸後期には控柱を入れて支えていた。
と、考えれば、たとえ構造が薬医門のものであっても、
親柱の前後に四本控柱が立っていれば、
柱の数から言えば、四足門には違いないので、
見寺の表門は本来、薬医門であり、
江戸時代の修理で、控柱が二本追加された物と考えられます。
今日はちょっと簡単な考察を・・・(^^)
見寺の表門は、記録によると表四足門との事で、
発掘調査報告書の復元案にも、
四足門の平面図で復元図が書かれています。
ところが、発掘した礎石の配置図を見ると、
あきらかに、薬医門の礎石配置だと思われます。
では、なぜ薬医門の礎石配置をしている表門の記録が、
四足門とされたのかというと・・・
大型の薬医門は、前面の軒の垂れ下がりを防ぐために、
修理時に、親柱の前に控柱を入れて支える事がよくあり、
見寺においても、江戸後期には控柱を入れて支えていた。
と、考えれば、たとえ構造が薬医門のものであっても、
親柱の前後に四本控柱が立っていれば、
柱の数から言えば、四足門には違いないので、
見寺の表門は本来、薬医門であり、
江戸時代の修理で、控柱が二本追加された物と考えられます。
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