small daily happiness

旅人の私が探す日常の小さな発見

始まりの時

2006年02月13日 | インド
バナーラスの朝は早い。

日の出を見るために、早朝一人でボートに乗る。暗く霧がかったガンジス川に無数のボートの姿が現れた。私のように客とボート漕ぎだけの人、大人数でワイワイ言いながら乗っている人々。皆の目的は、あと数分後の朝日・・・

ボート漕ぎのオジサンが、ある方向を指差す。
そこには、真っ赤で丸いモノが今にも出現しようとしている。それは徐々に何かに押されるように昇ってきた。真っ赤な色が、赤に、オレンジに、そして黄になり、空に溶け込んだ。すべては、本当に一瞬だった。だが私の胸はいつまでも、その光景にドキドキとしていた。

インドの列車内

2006年02月13日 | インド
ハリドワールからバナーラスまでは、エアコン付き二等寝台特急へ乗った。さすがに値段が高いだけあり、寝具(シーツ・毛布・枕)の貸し出しあり。二段ベッドだし、個々にカーテンがあった。そりゃ、グッスリ眠れた。

バナーラスからデリーまでは、二等寝台特急だった。値段は前者の三分の一ほど。ベッドも三段、昼間は二段目をたたみ、一段目が座席になる。私は一番上だったので、昼間もゴロゴロ、夜もスヤスヤ。しかし、明け方などは寒い。毛布持参だったので助かった。寒さの原因は、近くにいた早起き子供が全開の窓に大はしゃぎ。寒いし、うるさいし・・・

その二等寝台の中で、事件は起きた。
私の下の段や周辺は欧米人旅行者ばかりだった。私としては安心していた。ベッドの下の段から手が伸びてきて、体を触られまくるという噂だったから・・・それはまったくなく、良かった。良かった。
さて、斜め前のベッドにはインド人家族が寝ていた。早朝、そのベッド上段に見覚えのないインド人男性が座っていた。「この人って、ここにいなかったよな」と私は昨夜のボンヤリした記憶を思い出していた。そのインド人は突然、ベッドから降りると目の前の欧米人の荷物を手にしようとした。「えっ、何?」という間に、彼は走り出し列車から飛び降りた。荷物は鍵で繋がれていて未遂で終わった。未遂だったが、驚いたって。

リシケシで知り合った友人は、列車の中でお金をすべて盗られたらしい。いったい、何が起きたのだろうか?

プージャーの火

2006年02月11日 | インド
実際に日没後のプージャーに参加してみると、すごい。インド楽器の演奏に合わせ、少年僧が祈りを歌い、見ている人々がリズムをとる。もう、それだけで一体化した空気が流れている。あー、今日も幸せだったなーって気分。
そこへ礼拝僧が登場すると、場の空気がピリッと神聖なモノに変化した。彼の祈りの歌声の中、燭台の火が会場内に回される。誰も彼もが、この時は平等になっている。燃える火を眺めていると、すべてのことが小さなことに思えてくる。
次々と人々がガンジス川に花を流していく。あー、自然に感謝。あー、今日出会ったすべての人に感謝。あー、インドに来れて感謝。そんな気分になれる。

プージャーの花

2006年02月11日 | インド
毎晩、リシケシのガンジス川で行われるプージャー。近くにあるヒンズー寺院の少年僧を中心に、燭台の火を掲げて祈りを捧げ、川に花を浮かべる。

その花を売っているこの少年。普段は路上でサンダルを売っている。すっかり顔見知りになり、会う度に「ハーイ」って声を掛けてくれる。すごく良い子で、撮ったデジタル写真を見せたら満足げな顔で微笑んでいた。

インド人は写真が大好き。撮ってあげると喜ぶ。撮った映像を見せると、更に喜ぶ。写真を撮って、お金を要求されたことはリシケシでは一度もなし。

ガンジス川上流

2006年02月11日 | インド
リシケシを流れるガンジス川は青く澄みきり、川底が覗けるほど。
寒い早朝には人々が沐浴し、観光客がラフティングをしている様子も見られた。

口福中国飯

2006年02月11日 | 中国
上海で忘れられないモノ、それは〝ショウロンポウ〟。
1週間ぐらいの滞在中、色々な店のを4回ぐらい食べたかな。上海は焼きショウロンポウが有名。焼いたパリパリの皮の中に肉汁タップリの具が・・・熱いし、スープは飛ぶし、必ず口の中を火傷する。でも止められない美味さ。