美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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映画「1987」映画評

2018-12-01 15:59:04 | Weblog

 1987年 ソウル。この映画の中心舞台となる延世大学で留学生活を送っていた私にとっても特別な作品である。他科の学生に比べると真面目で優秀ではあるが、多少個人主義で政治活動や学生運動に対しては関心が低いとみられる医学生中にも講義の合間に集会を開き、軍事独裁の非を訴えデモの参加を呼び掛ける同級生のメンバーがいたことを思い出す。作品中、学生運動を主導するグループがアニメの上映会と銘打って、一般学生を誘い「光州事件」のビデオを見せるシーンが登場するが、確かに私も同級生から前置きなく同じような内容のものを見せられた記憶があった。普段は一緒に酒も飲み、くだらない話や失恋の悩みも面白おかしく話す友人であっただけに、騙されたとは言わないまでも何か気まずい思いを感じた。暫し講義がデモによって中断され、催涙ガスによってひりつく顔を水で洗う日常の中、レポートや試験の準備に忙しく政治どころではないという気持ちもあったが、本音は日本からの留学生ということで、目立つような行動は避けたいという無意識な自己防衛心が働いたのかも知れない。それほど当時の軍事政権による監視圧力は強く感じるものであった。

映画の背景となる80年代、軍事クーデターにより国を掌握し1979年までの18年間、軍事独裁的政権を続けた朴正煕大統領が暗殺で倒れたことで一時、国民の民主化への期待は高まったが、全斗煥保安司令官による戒厳令発令と光州民主化運動の弾圧、そして新たな軍事政権の誕生によりその期待は打ち砕かれた。しかし、知識層、特に理想を求め、ある意味純粋な学生たちから言論の自由、直接選挙による民主主義政権の樹立のための強い熱意やその為の民主化運動は自然の流れでもあり、その中心となったのが「386世代」と言われた「1990年代に年齢が30代、1980年代に大学生活を送り、1960年代に生まれ」の彼らであった。反面、戦後の植民地支配からの独立、6.25戦争(韓国戦争、朝鮮戦争)による南北分断と常に周囲国の中で翻弄されてきた韓半島の歴史では、外交、政治、経済の早急な発展のためにはある程度の独裁政治をやむなしとする意見も皆無ではなかった。特に生活にさほど余裕がない一般の国民からは、親のすねを齧る学生が本分である勉学を怠り、政治運動をすることに批判的な声もあったはずである。それが1987年、ソウル大生 朴鐘哲(パク・チョンチョル)と延世大生 李韓烈(イ・ハニョル)の二人の死により一気に国民全体の闘争に発展し、結果的に大統領直接選挙制を容認させ、韓国民主化実現の大きな分岐点となる。それだけ韓国現代史において非常に大きな出来事であったにも拘らず、政治的配慮からか正面から語られることもなかったテーマの映画化には多くの困難があったことが覗える。映画企画当初はシナリオが外部に漏れないように極秘裏に進められ、具体的な資金援助を持ちかけても当初は多くの企業は尻込みする。しかし、チャン・ジュナン監督曰く、幾つかの奇跡があり作品は完成し、韓国内で動員数700万人を超えるヒットとなり、海外でも次々に上映され高い評価を得ることになる。

映画は、発端となったソウル大生拷問致死事件を中心に展開し、事件に関与した実在の人物たちの心の葛藤も掘り下げることで一個人の視点からこの歴史の一幕を映し出すことに成功している。特にキム・ユンソク演じる拷問致死事件の主導者である治安本部 対共分室のパク所長を単に無慈悲な悪人としてではなく、幼少時の悲惨な体験により反共=愛国主義と頑なに信じた時代の産物として描く一方、権力に屈せず己の職位をかけて法を順守するハ・ジョンウ演ずるチェ検事。善と悪として対峙させる。どちらも国を守り職務を全うする意志と忠実さは相似した人間でありながら全く正反対の行動となる。この映画は無力な個々の力の結集から民主化という大きな変革を成し遂げた勇気と共に、イデオロギーや政治によって人の心が分断されることへの警告がと受け止めるべき作品ではないだろうか。

 

 

 

 

アジアン美容クリニック 院長 、帝京大学医学部、形成外科、美容外科講師 鄭 憲

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