美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

ハワイの光と影

2014-11-10 14:46:35 | Weblog

遅い夏休暇で数日過ごしたオアフ島ですが、普段はアウトドアどころか診療室に閉じこもりの生活をしていた私には青い海とさらっとした空気は新鮮で開放感一杯ではありましたが、容赦なく降り注ぐワイキキビーチの陽射しは予想以上に強烈だったようです。中途半端な日焼け顔は自分でもしっくりせず、職員や患者さんにも普段から紫外線予防を指導している身上 罪悪感?とまでいかなくとも後ろめたい気持ちになります。(わざわざハワイに行って言うことではないですが・・・)

滞在していたホノルルのホテルで流れていた曲は日本でもよく耳にする代表的なハワイアン『Aloha Oe(アロハオエ)』。ハワイ王国第8代の女王にして最後のハワイ王リリウオカラニ(Queen Liliuokalani/1838-1917)が作詞したとされています。1779年、イギリスの探検家ジェームズ・クック(Captain James Cook)船長がハワイ島のケアラケクア湾に到着した当時、ハワイ諸島はポリネシア系住民が3つの国に分かれて住んでいました。クック一行の上陸に対し、原住民は歓待しますが、結果的にはアフリカや南米、カリブ海諸国同様に欧米諸国による浸食の始まりだったともいえます。部族間抗争の絶えなかった島が、西欧の武器と戦略を携えたカメハメハによって統一されたのがその二十数年後の1795年、カメハメハ1世が即位によりハワイ王国が誕生します。王国はその後独立を守りながらも欧米文化、資本の影響を徐々に受け、次第に白人支配層が台頭していきます。特に白人経営者によるサトウキビやパイナップルのプランテーション農園が拡大され、労働力不足から中国人、フィリピン人、日本人、朝鮮人などの移民政策が進められました。 移民者たちはいずれも低賃金で過酷な労働を強いられ、主にポルトガル人の農場監督によって監視され時には容赦なく鞭もふるわれ、まさに農奴のような扱いを受けたといいます。現在アメリカには約 180万人の在米コリアンたちが住んでいますが、1903年1月13日ハワイに到着した102名がその始まりでした。

政治、経済供にアメリカ人支配が強まり、ハワイ人の人口減少とともに伝統文化が廃れていく中、兄のカラカウア王の死後後を引き継いだリリウオカラニ女王は王政復古を目指し王党派の反乱を起こしますが、白人系の議会により糾弾され退位に追い込まれハワイ王国は終焉を迎えます。彼女が作った愛する人との別れを惜しむ「アロハオエ」は祖国を失った女王の悲痛な嘆きの歌になりました。「さようなら貴方 さようなら貴方 木陰にたたずむ素敵な人 別れの前に優しい抱擁を また会えるその時まで」

 

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