韓国ソウルで2015年に新聞社とのインタビューの中で枢密顧問官に関する不適切発言があったとして不敬罪に問われているタクシン元首相の初公判が8月19日に非公開で行われた。
元首相の弁護士によれば、次回公判はほぼ1年先の来年7月に開かれる予定という。
裁判所に現れた元首相は、黒っぽいジャケットの下に黄色いシャツを着ていたが、このことについて「何か意味があるのか」と記者に問われたが、返答しなかった。
黄色は王室支持派すなわち反タクシン派のシンボルカラーで、過去に政治対立がエスカレートしていた際にはタクシン支持派は赤色のシャツ、反タクシン派は黄色のシャツとはっきり区別されていた。
このため元首相はこれまで黄色の服を着ている姿を人に見せることはあまりなかったが、今回の裁判は王室にかかわるものであることから王室への恭順を示す目的で敢えて黄色のシャツを着たものとみられている。
18日に晴れて自由の身になったタクシン氏ですが、この裁判は過去の不敬罪に対するものです。
まあ、軍部からのお灸のようなものでしょう。
もし何か不穏な動きをすれば不敬罪にするぞとの脅しに見えます。
それだけタクシン氏は軍部や王族にとって脅威になる存在なのですが、政治家としての手腕は高く評価され買われています。
タクシン氏ももう75歳、若き日のころの反骨精神は弱まり、丸くなったように見えます。
かつてはタイを王政国家から大統領制の国へ変えるという野望を持っていました。
軍部に対抗するために北部や東北部の農民層をまとめ上げ、赤シャツ軍団を作り上げたのです。
政治活動の前はタイで初めて人工衛星を打ち上げ、AISという携帯会社を設立、タイで5本の指に入る富裕層でした。
その後は警察官僚などを経て政治活動に進みました。
首相になった後もドンムアン空港のでTG飛行機爆破暗殺未遂に遭うなど波乱万丈の人生です。
私はこの爆破は軍部によるものと思っています。
ただタクシンは強運で、ドラ息子が寝坊したため飛行機に乗らないで待っていたのが幸いでした。
強運度はトランプさん暗殺未遂に匹敵するぐらいです。
最後は渡米中に軍部によるクーデターでタイに戻ることなく失脚を余儀なくされ、海外逃亡生活となりました。
タクシンと軍部の因縁は昨日今日に始まったことではないのです。
ちょうどその日その時間、私もドンムアン空港で他の便に乗るところで爆発が起きました。
この事件を含め飛行機爆発未遂は人生で2度経験しました。
もう一つはキャセイパシフィックでバンコクから香港経由で成田へ行く便で、香港到着前に機内に爆破物の存在が明らかになり、緊急で中国の知らない飛行場に着陸しました。
着陸後は中国の軍人がたくさん機内に乗り込んできて、すぐ飛行機から降ろされました。
キャセイが用意したホテルに宿泊し、翌日便で成田へは行けましたが、ドンムアンの時と異なり、飛んでいる機内で爆破物の存在を知った時の恐怖は想像を絶するものでした。
どうやらその便にはイタリアマフィアの大物が乗っていたようで、暗殺目的での爆破物だったようです。
今のように液体物検査などない時代でしたので、比較的簡単に爆弾も機内に持ち込めたようです。