脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

地道な進化を遂げたダークホース ~EURO 2008~

2008年06月06日 | 脚で語る欧州・海外
 今大会のEUROにおいて“死のグループ”と言われて余りあるCグループ。イタリア、フランス、オランダ、ルーマニアが同居するこのグループは、誰がどう見たって面白い展開が予想できるに違いない。2006年ドイツW杯王者のイタリア、98年フランスW杯、2000年EURO王者のフランス、1988年にミケルス率いる最強軍団で欧州の頂点を極めたオランダと、世界中のサッカーファンにとっては、涎が出るほど魅力的なチームが揃い、華やかさは他のグループの追随を許さない。しかし、自身の願望も含めて言わせてもらえば、このグループの最大の見所はルーマニアの戦いぶりだ。

 確かに苦しいグループには入った。クジ運を嘆くのはもう遅い。しかし、9勝2分1敗、26得点に7失点というEURO予選の数字だけ見れば、それはオランダ、フランス、イタリアよりも好成績だ。しかも予選から相まみえることとなったオランダには1勝1分と2戦とも負けていない。ブルガリア、アルバニア、ベラルーシ、オランダ、ルクセンブルク、スロベニアが相手と決して楽ではないこの予選を首位で勝ち抜けたのは、エースのアドリアン・ムトゥの活躍も然ることながら、やはり指揮官であるヴィクトル・ピトゥルカの努力が実を結んだと言えるだろう。

 ルーマニアが、かつて1994年のアメリカW杯でベスト8の大躍進を遂げたのは、今でも記憶に鮮明に残っているが、その時の国民的英雄ゲオルゲ・ハジはもちろんもうチームにいない。しかし、最もルーマニアが世界の舞台でその輝きを放ったのは、2000年のEURO本大会だろう。イングランドとドイツの低調ぶりにも助けられたが、この時のルーマニア代表はハジやポペスクといったベテラン勢と現在の代表を牽引するムトゥ、キヴ、コントラといった当時の若手選手が完全に融合した。オランダはアーネムにあるヘルレドーム・スタディオンで迎えた初戦ドイツ戦をモルドバンの開始5分のゴールを守りきり、1-0で勝利を収めたルーマニアは、次のポルトガル戦を0-1と惜敗するも、絶対勝利が条件である2位争いのイングランド戦で劇的な勝利を収め、国民を熱狂させた。この試合、ハジを累積警告で欠くルーマニアは、23分にキヴが左サイドのクロスをそのまま沈めるゴールで先制するも、シアラーにPKを決められた直後の前半ロスタイム、オーウェンにゴールを許し1-2で前半を折り返す。誰もが前半の時点でハジのいないルーマニアの敗北を予想したに違いない。しかし、後半開始早々の48分にドリネル・ムンテアヌが同点弾を奪う。拮抗した試合は劇的な展開を迎える。後半終了間際にルーマニアが起死回生のPKを奪取。これをガネアが落ち着いて決め、下馬評を見事に覆して、この試合引き分けでも決勝トーナメントに進出できたイングランドをねじ伏せたのだった。この結果、準々決勝に駒を進めたルーマニアだったが、その後イタリアに0-2と完敗、ベスト8に終わったものの、90年代のW杯において3大会連続で決勝トーナメントに駒を進めた勢いそのままにルーマニア代表はこれから全盛期を迎えるかと思われた。
 ところが、2001年にハジが現役を引退すると、それと時を同じくして代表チームの輝きは失われた。02年日韓W杯、04年のEURO、06年ドイツW杯と共に予選敗退。国際大会の舞台からルーマニアは姿を消す。それから今日まで、躍進を遂げるには8年の歳月を要したのである。

 現在のピトゥルカ監督は、その不遇の時期を立て直そうと地道な努力を積み重ねた。彼が現在の代表をEURO本大会に導くのは2度目。1度目は前述した2000年大会だったもののハジとの衝突で本大会前に更迭されている。いつもそこには国民的英雄だったハジの残像があった。その残像に苦しんだルーマニアをピトゥルカは一つにしたのである。先日発売されたNumber PLUS6月号にその詳細は書かれているので割愛するが、現在のルーマニア代表はようやく90年代を風靡した“国民的英雄”の幻から解き放たれたのだ。前回の雪辱、そして2000年大会の再現を狙って、彼らは躍動するに違いない。そんな彼らの躍進があったとすれば、この“死のグループ”はもっと面白くになるに違いないのだが。予選の数字は果たして本大会に如実に反映されるだろうか。