脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

京都人はリスペクトなしに一流を好む?

2007年10月16日 | 脚で語るJリーグ


 気になることがある。そろそろ肌寒くなるこの時期にこれから訪れるのが、各Jクラブの来季へ向けた人員整理であるが、先日、J2京都の美濃部監督が解任された。昇格レース真っ只中ではあるが、第4クールに入ってから4試合連続で勝ち星から見放された勝ちきれないチーム事情を憂慮してか、残り9試合の時期にチームを去った昨年の柱谷幸一現栃木SC監督に続く2年連続の解任劇となった。

 今季、何度か京都のゲームは観戦したのだが、筆者は間違いなくこうなることを予測していた。それはあまりに目立ったベンチでの加藤久総監督の姿。実質的な采配はこの加藤久氏にハナから託されていたといっても過言ではない。時に熱くなることもしばしば見られた美濃部監督の後ろには深くベンチに腰を下ろし、時に美濃部氏に助言をする加藤氏の姿があった。
 個人的な見解を申し上げれば、この時期の監督交代は極めてその効果が希薄であるといえる。J2は残り7試合の大詰めを迎えている。これまでチームの専務取締役を務め、ベンチ入りするに至った加藤氏がチーム事情を把握した人物であることは京都にとってはせめてもの救いであるが、残り7試合のみの暫定指揮官であるというのも素直に頷けない点である。また来季は違う人間が監督として迎え入れられるということ。残り7試合と迫ったこのタイミングでチームの戦術はおろか戦い方をどこまで転換できるというのか。加藤氏の采配で注目できたのは美濃部監督時代にはほとんど見られなかったスタメン起用の森岡、秋田のベテラン二人への信頼度が伺えたぐらいではなかろうか。
 京都は加藤氏をおそらく監督経験が皆無の美濃部監督の後見人としてチームに招き、クラブの重役というポストに着かせながらも、その先には明らかな美濃部失敗時の「保険」という目論みがあったはずだ。だが、ここにきてのその「保険適用」は正直タイミングが悪いとしか言いようがない。新戦力が加わるわけでもなく、加藤監督就任が爆発的にチーム力を上昇させる保証もない。その明確な意図が見えないまま7試合限りの指揮権を授かった加藤氏の心境すら伺いたいところだ。

 京都は日本屈指のエレベーターチームといっていい。2度のJ1昇格(96年の初昇格は除く)と3度のJ2降格という同じミスをことごとく繰り返してきたチームだ。至上命題といっても過言ではない今季のJ1自動昇格圏内は7月までキープしてきた。それがここにきてのチームの息切れにクラブは即座に指揮官のクビを決めた。何のことはない、加藤氏がチームに加入した頃から既に予定されていた既定路線だ。
 京都の梅本徹社長は「会社でも成績が悪くなれば、よその部署から救援するでしょ。あれといっしょ。」なるコメントを話したようだが、あまりの美濃部前監督に対するリスペクトの欠けた発言に失望した。会社は成績が悪いようではそうも易々とクビにはならないし、部下への信頼の元で運営される。しかし京都は元来、指揮官に対するリスペクトなど無きに等しいのだ。
 これがプロフェッショナルな考えだとすればそれは大きな間違いだと個人的には感じる。何しろ責任者であるクラブのトップは未だフカフカの椅子にドップリ腰をかけているのだから。唯一の日本代表でありチームの宝であった黒部が京都を去る時も慰留をしなかったエピソードは有名な話だ。一丸となっていく忍耐力がないのにも程がある。

 選手や監督に対するリスペクトが本当に強いチームを作る。これはあながち間違いではないはずだ。しかし、この精神を欠けば不協和音はすぐに広がる。選手の責任か監督の責任か、それともフロントの責任か。ファンはよく分かるはずだ。残念ながら京都はその代償を指揮官の解任で片付けようとする悪癖がある。選手もシーズンオフにそのとばっちりを受け、毎年のように主力選手は入れ替わる。最早、京都の来季の看板選手が誰か予想はつかない。
 
 個人的には京都が最も来季の昇格から見放されたと思っている。「京都人は一流を好む。」と柱谷幸一元京都監督は語ったらしいが、梅本さん、貴方は間違いなく一流ではない。