庭に百合の花が咲いた。白くて美しい白百合だ!
姿が美しいだけでなく、馥郁とした香りがあたりを包んでいる。
谷間に咲く白い百合の花を手折って恋する女性におくる・・・、あれは、誰の小説だったっけ?
まだ少女だった頃、夢中で読んだヘルマン・ヘッセの青春小説を思い出した。
「青春彷徨」や「車輪の下」や「デミアン」や「ペーター・カーメンツィント」
そんな本のどこかに、白い百合の花も出てきたような気がしたのだけれど・・。
自然の現象は、同時に、多感でナイーブな少年の内面と重なっていた・・ような気がする。
そんなことを思っていた時、ヘッセの晩年の暮らしを綴った「庭仕事の愉しみ」という本と出会った。
・・・ 水 火 煙 雲 目を閉じたときに見える色彩の斑点・・・
このような形象を見つめ 不合理で 複雑で 奇妙な 自然の形に熱中していると
私たちの心とそういう形象を成立させた意志とが一致するものであるという感じを持つようになる。
私たちはこれらの形象を、私たち自身の気分であり、自分たちの創造の産物である と考えたい誘惑を感じるようになる。
そして、私たちは自分たちと自然との間の境界が揺らぎ、溶けてしまうのを見
私たちの網膜に映る様々な形象が 外部からの印象であるのか それとも私たちの内部から生じたものか わからない気分になる。
(「外界の内界」の一節より)
ヘッセは人生の後半生、執筆以外の時間をほとんど自分の庭で過ごしたという。
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庭仕事の中に尽きせぬ愉しみを見出し、自然の中に彼の文学へと結実する秘密を発見した。
水彩画を描き、庭から学んだ自然と人生の叡智を、詩やエッセイに綴った。
人との付き合いは少なく、花や虫や蝶や木や草が友人であり、大木とは古くからの親友のように付き合った。
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わたしも、いつの間にか庭の花や木と自分との距離が近くなって、
自然が、自分の家族のような存在になっていることを感じる。