電撃ブックハンター

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冤罪の国・1

2017-01-02 04:08:56 | 日記
正月はスペシャル企画です。
休み中でないと資料を引っ張り出してきて確認出来ないので、今の内に書いとこうと思い立った次第です。

ニュースで取り上げられたので、ご存知の方も多いと思いますが、岐阜県の美濃加茂市長・藤井浩人氏が収賄容疑で逮捕・起訴された事件で、一審が「無罪」だったのにも関わらず、検察が控訴、名古屋高裁の二審で何と「逆転有罪」の判決が出ました。

ご存じない方のために、かいつまんでこの事件を解説するとこうなります。

①美濃加茂市議時代の藤井氏が東日本大震災のボランティアの経験から、電源が要らない非常浄水設備導入を提案、知り合いを通じて「水源」という会社にアクセス、藤井氏の母校のプールに無償の実証プラントを設置してもらう。
結局、導入はしていない)

②その「水源」の社長・N氏が実は多額の融資詐欺を働いていた事が発覚、逮捕される。
印鑑を偽造するなど悪質な手口で銀行などから4億円近い資金をだまし取っていた事が分かっている。


③N氏が取り調べの過程で「藤井氏に計30万円を渡した」と供述、これを元に2014年6月24日、藤井市長が警察に逮捕される。
藤井氏は一貫して無罪を主張するも、強引な取り調べが続く。
その取り調べ時に警察官は、
「こんなハナタレを市長にした市民の気が知れない」
「正直に自白しないと美濃加茂市を焼け野原にするぞ(子供まで含めて関係者をどんどん引っ張るぞ、という脅し)」
など暴言を連発。
勾留が続けられ、その後起訴される。

また、N氏が藤井氏に金を渡したと主張する美濃加茂市内のファミリーレストランでの会合にはいずれもT氏という立会人がいて、T氏は「会合中、金を渡している所など見ていない」と一貫して主張。
警察での聴取ではT氏は長時間缶詰にされ、「金を渡したのを見ただろう」「見たという調書に署名しろ」と証言を強要されたとの事。

④名古屋地裁での一審では無罪判決。
N氏の「金を渡した」という証言以外に収賄の証拠はなく、検察とN氏が綿密な打ち合わせをしている様が見られるなど、検察の主張に合理性が無いと判断された。

⑤その後、検察が控訴。名古屋高裁での二審では、村山浩昭裁判長は被告側の証言は一切聞かず、検察側が用意した証言のみを採用、また一審で「無罪」と認定された藤井市長の供述を真逆に使って「逆転有罪」の判決を出した。


この事件にはいくつか不可解な点があります。
まず、N氏が4億近い融資詐欺を働いている明確な証拠があるにも関わらず、検察は2000万円分しか起訴していない事。
これは弁済すれば執行猶予がつく程度の罪にしかならないそうで、N氏と検察の間で何らかの取引があったと疑われても仕方ない処遇ではないでしょうか。

また、二審の名古屋高裁は、判決後にマスコミには「判決要旨」という裁判の概略のペーパーを配っているのに、被告・弁護側には一切そうした書類を出さないそうです。
弁護人が抗議しても知らぬ顔を通している模様。
裁判の過程といい、判決後の振る舞いといい、検察とつるんでいる様にしか見えません。


さて、「電撃ブックハンター」なのに、なぜこのような事件について延々と書き連ねているかというと、これらを読み解くヒントを与えてくれる本が手持ちの中に何冊かあったので紹介してみようと思ったためです。

ほとんどの人は警察は悪い奴を捕まえてくれるところで、検察は悪い奴の罪を決め、裁判所は公正に審理する場所、という印象を持たれているでしょう。
しかし、それは本当でしょうか?

普通にテレビや新聞でニュースを見ていると分からないのですが、ラジオやインターネットのニュース解説を聴き、書籍を読んでいくと決して彼らが「法の番人」などでは無いことが分かってきます。

例えば、検察に起訴された場合の有罪率は99.9%とか99.5%と言われています。
起訴されたらほぼ有罪になってしまうという異常な数字です。
芥川龍之介の「藪の中」ではありませんが、現行犯で目撃者が多数いても、防犯カメラで撮られていても、何が起こったのか本当の所は分からない事があるものです。
それが、目撃者もいない、証拠もない、あるのは捕まえたやつの自白だけ、という状態でも9割以上が有罪、というのは、どう考えてもおかしいのではないでしょうか。


そもそも人間の記憶はビデオの様に正確なものではありません。
大まかな概要しか覚えられないため、他人と情報を摺り合わせたり(共同想起)、メモや写真などの記録で思いだしたり(外的記憶補助)して記憶を「熟成」していくそうです。
その過程で、間違った記憶を作り上げてしまう場合がある事も心理学において実証されています。
詳しくはこちらの本を読んでみてください。

●「証言の心理学」 高木光太郎 中公新書



警察や検察が「コイツが犯人に違いない」あるいは「コイツを犯人にしたい」という意図を持って捜査、取り調べした場合、聞き込みの過程で証人に誤った記憶を醸成させてしまったり、容疑者に記憶の混乱を起こさせたりする事は十分考えられます。

刑事事件の場合、逮捕後警察で48時間、検察で24時間、さらに検察が勾留請求を出して裁判所から認められれば(ほとんど認められる)、最大20日間、計23日間も留置場や拘置所に監禁されます。
しかも本職がパートで来ているのでは?と思われる様な方々から朝から晩まで厳しく取り調べられるのです。
そのような状況で、
「お前がやったんだろう!」
「これはこういう事だよな、そうだよな?」
「今、やったと言えば罪は軽くて済むぞ?」

などと、あの手この手で用意したストーリーに乗れ、と責めて来られたら、普通はとても持ちません。
自分の記憶に自信が無くなり、警察側のシナリオに書き換えられてしまう恐れがあります。
私だったら最初にヤクザみたいな人が取調室に入ってきた瞬間に「すみませんでした!」と言ってしまいます。

これだけ記憶に基づく自白というものが問題あると指摘されているにも関わらず、警察も検察も、裁判所すらそれを黙殺しています。
取り調べの苛烈さに耐えかねて、やってなくても「自分がやった」と調書にサインしてしまったら、それは一級の証拠として裁判所が判断するのです。

そして、裁判では検察が圧倒的に有利です。
捜査で得た物証、証言の中から自分たちに有利なものだけを提出すれば良く、不利な証拠は提示しなくても良い。
しかも、起訴後に裁判所が保釈を認めなければ、いつまでも被疑者を人質のように拘置所に留め置いて好きなように尋問出来ます。

「推定無罪の原則」という裁判の基本があります。
これは「有罪が確定するまでは被告を犯罪者として扱ってはならない」という事で、無罪を前提に裁判しなければならない筈ですが、検察が起訴したらもうほとんど犯罪者にしてしまっている現実があります。
それをマスコミが更に煽り立てる。
警察・検察は否定しますが、どう考えても捜査側から出たとしか思えない情報が流れ出て、「容疑者」を実質的な「犯人」に仕立て上げていくのです。

こうなると、一個人がどんなに無実を叫んでも誰も耳を傾けてくれません。
走っているトラックに戦いを挑むようなもので、絶対勝てないとは言えませんが、勝利するのは著しく困難です。
前述の美濃加茂市長の事件はこうした典型的な例ではないかと思います。
もちろん真実は神が知るのみ、ですが、行政側のやり口が稚拙なため、余計にアラが目立つ感じです。

こうした例を巻き込まれた当事者たちが語っているのがこの本です。

●「国策捜査 暴走する特捜検察と餌食にされた人たち」 青木理 角川文庫


この本では特捜案件がメインですが、窃盗や痴漢の冤罪でも同じ構造です。
これを読んだ上で日々のニュースに接すると、あらゆる冤罪に一定のパターンがあることが見えてきます。
テレビ・新聞の報道を額面通りに受け入れられなくなくなります。

大げさだなあ、とか、妄想だろう、と思われる方は別にそれでも構いません。
ただ、一回巻き込まれてみれば、身をもって体験出来るのではないかと思います。
普通に生活している普通の人が、ある日突然どん底に突き落とされる。
決して他人事ではありません。
こうしたリスクを減らすには、我々がまず実情を知り、真相を見極める「目」を養う必要があるのではないでしょうか。


さて、「その2」では警察・検察がなぜこういう体質になったのかについて、関連書籍を紹介しながら考えてみようと思います。
長くなりましたので今回はこれにて。





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