米国人イケメン歌手「J-POPは世界に通用する」 コブクロ、福山雅治、宇多田ヒカルに憧れ日本語を… (産経ニュースの記事より)
さて、日本が誇る日本料理ですが、残念ながら日本人が思うよりは海外の評判は落ちます。
経験上、特にイギリスやオーストラリアあたりのアングロサクソン系にはイマイチです。
口の悪い典型的イギリス人から「This is a crap(これはゴミだ)」と言われ、ショックを受けたこともあります。
ふだんゴミを食べてるのはどっちかわかりませんが、とにかくあまり口にあわないようです。
ただ、残念ながら、僕も少しだけ気持ちがわかります。
とにかく日本料理はおかずが「甘い」んです。
日本料理はご飯自体が甘いのに、そのおかずにも隙あらばみりんや砂糖をぶちこんで、これでもかと甘ったるくします。
確かに甘いと最初の口当たりはいいのです。
でも、気になる人にとっては、それがとても変に思えてきます。
例えるなら、子供用の風邪薬のシロップが、大人になると気持ち悪く感じられるのと同じです。
それに似たことがJ-POPにも言える気がします。
日本の歌の特徴に、短い小節で音が上下によく移動するというものがあります。
こうすると、メロディアスになり、和音の響きがつかみやすく曲がわかりやすくなります。
さらに、和音も自体もたくさん使って劇的に展開します。
こうすると、わかりやすくなる一方、俗っぽく甘ったるい雰囲気が出てきます。
それに対して、洋楽はメロディの上下移動もコードの数もはるかに抑え目です。
例えるなら、街で見られる看板の違いです。
日本の看板はとにかく目立つようにめいっぱい色を使って目立たせます。
欧米の看板は色は二つか三つくらいに抑えて、できるだけシンプルに仕上げます。
この感性の違いは意外と大きく、上記事のようにJ-POPが世界で受け入れられるのはまだまだ時間がかかると思います。
岡崎先発 レスター、アウェーでワトフォード下し首位キープ プレミア第29節(スポナビの記事より)
大昔、とある縁でプロの方に曲を聴いてもらっていて、ある指摘を受けました。
それは、僕の作る曲はどれも音にすき間がないということでした。
また、それが素人にありがちな間違いだとも聞きました。
作る側の心理としては、常に何かの音が鳴っていないと不安になります。
それで、ずっと和音を鳴らし続ける弦楽器っぽい音を入れたくなってきます。
それでも寂しい気がして、和音を分解して一音ずつ細かく鳴らせたくなります。
それも飽きたらなくなれば、今度は違う音色で同じように鳴らせます。
それでやればやるほど、いつもごちゃごちゃ音が鳴っているだけのちんどん屋みたいな曲になります。
でも、音楽というのは、音が鳴らない部分が鳴っている部分以上に大切です。
いわゆる「間」というやつです。
それが曲の持つリズムになります。
曲の盛り上がりも、音の鳴っている数と単純に比例するわけでもありません。
その感覚を自分の表現にするまでがなかなか難しいわけです。
平たくいえば、何かをしない決断は何かをする決断と同じくらい大切なのです。
音楽で間が大事なように、絵や文章で余白が大事なように、なにもない部分にも意味があります。
上記事の弱小チームを首位に押し上げたラニエリ監督もそれが上手く行っているようです。
というのも、戦術にはあまり口を出さず、自身は選手のコンディション作りなどを主な仕事にしているそうです。
これだけきくと怠け者みたいですが、この結果は、そんなあえてしない決断の成果に思えます。
面白いことに、これまでのラニエリ監督といえば、上手く行っていたチームを途中でいじって失速するのがおなじみでしたので。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『勝手に信じている法則』
■あとがき
どれも経験上何度も出会ったケースで、まあまあ当てはまる法則だと思ってます。
二番目はそうでもない気もします。
でも、主に男性でびっくりするくらい温厚な人はやや受け口の人が多かったですね。
あと、怒る時だけ関東弁になる関西人は3人ほど知っています。
なんとなく普段と違う言葉遣いのほうが怒りを表現しやすいからじゃないでしょうか。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『汚れた心』
■あとがき
陽気が春めいてきたので、春らしい話題にしました。
なんかイジリー岡田さんを彷彿とさせる丸メガネに見事なおかっぱツーブロックだったもので…
でも、産婦人科に限って言えば、命を直接預かる仕事でトラブルも多いです。
実に数人に一人の割合で訴訟に巻き込まれる経験を持つ過酷な現場です。
とても興味本位で務まるものではありません。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
アメリカ「トランプ氏の当選阻止を」共和党内で拒否感情(読売新聞の記事より)
テレビやラジオによく出演されている元外務官僚の方がいるのですが。
トランプ氏人気について「低学歴で負け組の白人層のやっかみ」と言ってました。
確かにそういうデータも出てましたし、当初はまあまあ的確な指摘だったかもしれません。
しかし、ここまで支持が拡大してなお相変わらず同じ事を言っています。
でも、それはあまりにアメリカ人をバカにしすぎじゃないでしょうか。
確かに、彼らの不満の代弁者があのトランプ氏なのは馬鹿げています。
とはいえ、彼らは彼らで切実な問題を抱えているはずだと思うのです。
例えば、格差固定や治安の悪化、将来への不安など…
それをただの負け組の妬みですませても何も解決しません。
僕はその方にエリートならではの根本的に人を見下した部分を感じました。
そして、こういう鼻につくことを言う知識階級はアメリカにはもっと大勢いるでしょう。
しかし、メディアがそういう安易な分析をすればするほど、トランプ氏人気は盛り上がります。
トランプ支持者をただのバカと片付け、彼らの声と真摯に向き合おうとはしません。
それでメディアは、自分達にとって都合がいい、従順な弱者やマイノリティーばかりを取り上げます。
こういう連中に一泡吹かせるためなら、どうなろうとトランプ氏を支持してやろうという人が増えています。
トランプ氏人気には、そういうマスコミを始めとした既得権益者への挑戦もあるわけです。
この波はいずれ日本にもやってきます。
その時は勢いに任せて後で後悔するような事にならないよう、できるだけ冷静でいなければいけません。
もしかしたら、その波はもうすでに来ているのかもしれませんけど。
女子生徒に「カラスがいるから気をつけてね」と声をかけた無職を検挙 兵庫(ひょうご安全安心情報より)
僕が育った街は、県内でも知られた修羅の街です。
テレビにも出てるとある経済評論家の方が、市で野球の打線を組んでました。
そこではナインには選ばれず、乱闘要員としての大抜擢を受けていました。
昔、市内のとある小学校の授業中に、斧を持った男が乱入する事件がありました。
まだまだおおらかで、生徒のいる間は校門も開いていたそんな時代の頃です。
学校中騒然となり、当時のテレビのニュースにもなりました。
幸い生徒や先生は軽傷ですんだようでした。
報道によれば、その男は近所に住んでおり、そに通う小学生にあだ名を付けられ毎日バカにされていたそうです。
それである日とうとう我慢できなくなり、斧で復讐しに来たのでした。
とは言え、よその学校のことでしたし、忘れてしまっていました。
しかし、それからだいぶ経ったある時、当時のことを思い出させる出来事がありました。
PSのホラー系ノベル・ゲームに、斧を持った男が小学校を襲うというものがあったのです。
それだけならただの偶然とも思えます。
ですが、その男につけられたあだ名までそっくりそのままだったのです。
多分、製作者の中に当時の事件に強い印象を持った方がいたのでしょう。
もしかしたら修羅の街の出身だったのかもしれません。
そうだとしたら、話のネタには困らなかったでしょう。
厚切りジェイソン“ご意見番気取り”に、ネットユーザー怒り爆発!(日刊大衆の記事より)
消費者にとって優れた製品とはどんなものをいうでしょうか?
個人的に、優れた製品には幾つかランクがあると考えています。
まず、四番目は既存の製品をより手に入りやすくしたものです。
便利なのは知っていても、手軽に手に入るものでないと長く使う気になりません。
三番目に優れた製品は、既存の性能をより改善したものです。
スマホのバッテリーはもっと持って欲しいとほとんどのユーザーは思っています。
二番目に優れた製品は、消費者がほしいと思っていたものを製品化したものです。
世の中にはあれがあれば、これがあればと思っていても技術的に難しいものがたくさんあります。
例えば、メガネ型や紙のように丸められるモニターが誰にでも手に届くようになれば、人気商品になります。
そして、一番目に優れた製品は何でしょうか?
それは、全く新しいニーズを生み出す製品です。
例えば、できる前は想像すらしていなかったけど実際できてみたら欲しいと思えるようなものです。
今では考えられませんが、スマートフォンが出たての頃は、某ネット界のご意見番みたいな人でも懐疑的でした。
ところが、蓋を開けてみれば、ゲームで当てた会社が野球球団を買えるほどの新しい市場を開拓しました。
さて、そこで色々物議をかもしている上記事の方なのですが。
この方の芸風や提言はメディア側のニーズから逆算したもので、目新しさを感じません。
昔『ここがヘンだよ日本人』という人気番組もありましたが、メディアに一定のニーズのあるポジションです。
別にそれが悪いわけではありませんけども、もっと新鮮な視点を与えてくれたらなと勝手に期待しています。
日教組の組織率24・2% 過去最低を更新(共同通信の記事より)
僕が小学生の頃時は、日教組教育がまだ盛んな時代でした。
音楽の教科書の君が代のページには上からプリントを貼らされ、戦争の歌だと教わりました。
担任の先生から「次の選挙は共産党に投票してくれ」と親に電話がかかってきたことも何度もあります。
今ならどちらも問題になっているかもしれません。
露骨なことはさすがに教師側も控えているでしょう。
特に問題になりやすい社会科は、周囲の目が厳しくなったこともあり、恐らく先生も控えめです。
その抜け穴のような形でイデオロギー闘争の場になっているのが中学英語です。
だいぶ前ですが、某教科書のあるパートで、こんなのがありました。
休みの日、母親と妹が外に遊びに行って、楽しく過ごしています。
その間、家で留守番をしていた父親と兄で家事に挑戦して失敗続きです。
女性陣は仕事も遊びも上手にこなし、男性陣はいまいちでしたという話でおしまいです。
それが勘のいい生徒たちも疑問視していたくらい、不自然な女尊男卑な雰囲気なのです。
CMだと女性上げ男性下げな内容ほど好感度が高いのは有名ですが、教科書ともなれば別問題です。
また、英語の授業は、英語の歌を聞かせるのもよくあります。
比較的最近地元の中学校のものを見る機会があったのですが、どれも反戦歌ばかりでドン引きしました。
『Paper Crane』は見るからにそうでしたが、『グリーン・グリーン』など露骨ではないものもあります。
こういう特定の思想を子どもへの深層意識への刷り込もうとするものは、それがなんであろうと反対です。