兵庫県議10人に切手大量購入疑惑…野々村氏に議員辞職を迫った県議も70万円分購入(日刊スポーツの記事より)
昔、とある小さな商社にいた時の話です。
商品を卸している得意先にちょっと変わった会社がありました。
多くの普通の小売業者とは違い、商品の財産的価値に注目するのです。
そして、小金持ちの老人を相手に投資として勧めて、資金をかき集めるのだそうです。
聞くところによれば、そこの社長さんはかれこれ30年以上、その手法で会社を立ち上げては潰すを繰り返しているそうです。
社名からして『ドリーム・ライフ・クラブ○○』みたいな、逆に人を騙す気があるのかと聞きたくなる胡散臭さです。
しかし、未だにやっているところを見ると、警察のお世話にはならずにすんでいるようでした。
僕のいた会社の社長いわく『稀代の詐欺師』だそうです。
ですが、こちらも背に腹は変えられませんので、大口のお客さんとしてせっせと商品を卸していました。
さて、かねがね疑っていることがあります。
悪いことをする人の裏に、実は決して捕まらない真の首謀者というかアドバイスをしている人がいるんじゃないか、ということです。
上記事の話でもそうですが、初当選の野々村県議からベテランまでこぞって同じことをしています。
詐欺の投資話やマルチ商法でも、それなりのノウハウというのはあると思います。
バレて捕まるのはただの鉄砲玉で、その裏に手引をしている人がいても不思議ではないと思っています。
言葉失う PTA役員 … エロ過激な漫画、普通に店頭に(読売新聞の記事より)
私事で恐縮ですが、過去記事『禁欲のススメ』より宣言した「オナ禁」を七夕を記念してひとまず解いてみました。
体力も上がり気持ちも明るくなれたのでオススメする気持ちに変わりはありません。
しかし、解禁時あまりの勢いに『管』に結構な痛みが走り軽く恐怖しました。
なので二、三週間を一サイクルとして長すぎず短すぎず禁欲するのがベストです。
さて、エロは人が子孫を残すためにのためになくてはならない大事な本能です。
これがなければ恐らくとっくの昔に絶滅しているでしょう。
またエロは多くの男性にとって生きる希望であり人生を豊かにしてくれます。
それならなぜ、上記事のように「いやらしい」ものとしてタブー視されてしまうのでしょうか?
その理由の一つにそれが「本能」的であるからです。
例えば、もよおしたらどこでもおしっこをし、道に落ちてるモノを拾って食べるような人を見たらどうでしょう?
ほんの小さな子供ならいざしらず、普通ならとてもまっとうな人とはいえません。
エロはそんな本能の中でも特に衝動的なものです。
普通よりずっと理性的であるはずのエリートの皆さんでさえ抑えることはとても苦労しています。
こうした本能による衝動を嫌がるのは人間の「理性」です。
「理性」と「本能」は一人の人間の中に一緒に存在しつつお互いにケンカします。
それでいて「理性」の方がずっと優位な立場に立っているのです。
例えば、太っている人は食欲が押さえられないと思われ馬鹿にされます。
これも「理性」優位の人間ならではといえるでしょう。
【ガリ勉・根暗歓喜】学生時代イケてなかった人の方がまともな大人になる確率が高い(IRORIOの記事より)
昔ある森にダンスの得意なムカデがいました。
何十本もの足を器用に動かすその様はとても優雅で、森に住む皆をうっとりさせるのです。
そこにあるとき意地悪なカエルがムカデにこう聞きました。
「ムカデさん、君のその23番目の右足と16番目の左足はいつどのように動かすの?」
すると、ムカデはダンスを上手く踊れなくなってしまいました。
世の中不公平なもので、天性の才能を持っている人はいるものです。
誰かに教わったり理屈を知らなくても、感覚的に上手にやれてしまうのです。
勉強、スポーツ、歌や楽器、はたまた恋愛事まで、どんなジャンルでも当てはまります。
それに比べて凡人のなんて惨めなことでしょうか。
どうすれば問題が解けるようになるのか、上手くボールを飛ばすにはどうするのか、モテるためには何が必要か…
何度も何度も失敗を繰り返して、どうにか追いつく人も出てくる程度です。
しかし、天才には落とし穴があります。
生来の感覚でこなせてしまうため、それが何かのきっかけでずれてしまったら最期、二度と取り戻すことができないのです。
特にスポーツや音楽の世界では「天才」がスランプに陥りとたんに通用しなくなるケースが見受けられます。
それに対して、努力を積み上げてきた人には経験に基づくきちんとした方法論が確立されています。
スランプに陥ったとしても、今までしてきたことをもう一度繰り返せばもとに戻すこともできます。
さらには、その努力を重ねることで「天才」すら超える人もでてくるでしょう。
上記事の話にも同じようなことが言えると思います。
天性でイケメンより、努力で手に入れたイケメンのほうが、失いにくく更に伸ばすこともできるのです。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
第一期ザ・ダークネスの面々。往年のクィーン並みの名盤を作った才能さえ、その輝きはあまり長くは続きませんでした。
W杯敗退 「自分たちのサッカー」って何? ネットで“ネタ化”(産経新聞の記事より)
サッカー日本代表ならずとも「自分らしさ」を求めて人は悩みます。
若い頃は特にそうです。
ファッションにこだわってやりすぎたり、楽器に手を出してみたり、ポエムを綴ってみたり…
でも、そのほとんどは大して長続きせず終わってしまいます。
きっとそうした自分はどこか無理していたからです。
結局「自分らしさ」を求めて「自分らしく」ないことをしてしまったというわけです。
思春期にかぎらず、大人になっても似たようなことは起きます。
お金がない、友達や恋人がいない、仕事が上手くいかない…
その悩みの奥にはやっぱり「なりたい自分」と「今の自分」のギャップがあります。
最近流行りの「ありのままに」を受け入れられたら、それの方がずっと楽です。
でも、「ありのままに」がこれまた難しいのです。
例えば、ぐうたらで働きたくない人が仕事をすっぱりやめて生活保護を受けたとします。
それが本来のありのままの自分を受け入れた良い結果になるのでしょうか?
ただ、ひとつ言えることはあります。
人は自分が満ち足りているときは、人のために何かをしてあげたくなるのです。
自然とそう思える自分なら、ありのままの自分と言っていいかもしれません。
綾瀬はるか「おっぱい見せられなくて、ごめんなさい」 さんまに謝罪(マイナビウーマンの記事より)
恥ずかしがるからいやらしい目で見たくなるのか、いやらしい目で見られるから恥ずかしがるのかは永遠の謎です。
日本人男性がおっぱいの魅力に目覚めたのは、長い歴史からすればほんの最近です。
和服は胸がない方が似合いますし、あまり魅力的なパーツだと思われてなかったようです。
女性の方も今ほどおっぱいを見られて恥ずかしいと思ってなかったのだと思います。
アフリカやアマゾンに住む部族には、女性が乳を放り出しているところも多いです。
服で隠してまで恥ずかしがる部分かどうかは、文化や時代によってもかなり扱いが違います。
イスラム圏では髪を、特に厳格なところは顔まで隠さねばなりません。
若く一番華やぐ時期にその美しさを見られないのはとても残念です。
しかし、外出に化粧がかかせずいつも人と自分の容姿を比べたり比べられたりする現代女性も結構大変です。
どちらが本当に精神的に自由なのかは念のため疑ってみてもいいかもしれません。
また、おっぱいどころか女性が下半身すらほとんど隠さないという部族も存在します。
しかし、余計なお世話ですが、その部族の男性は一体女性の何を持って興奮するんでしょう?
そんなにおおっぴらにされたら、エロの情緒もわびさびもありません。
しかし、この部族、女性は生まれたままの姿同然ですがなぜか首だけは隠しています。
うっかり男性が素肌の首を見た日には、娘の父親が殴りこんできて娘との結婚を迫るレベルの騒ぎになります。
どの文化の女性でも、必ずどこかしら見られたら恥ずかしい秘密の部分を持っています。
「A secret makes a woman woman,(秘密が女性を女性にする)」というわけです。
STAP問題 理研は小保方氏に決着委ねる 検証猶予は5ヶ月間(日本経済新聞)
上記事のSTAP細胞の検証ですが、人によっては遠回りなことをしているように思えるかもしれません。
S確かにあるに越したことはないので、中には淡い期待を持っている人もいるのかもしれません。
テレビに出てくる科学ジャーナリストも断定的なものの言い方はあまりしていないように思います。
(もちろん実在を否定する科学者の方も多いのですが)
しかし、普通の感覚で言えば、もはや実在の可能性は徳川埋蔵金か秩父原人のレベルです。
あれほど証拠のでっちあげをオンパレードしておいて、今更あるとは思えません。
この科学関係者と一般人の認識のギャップはどこから生まれるのでしょうか?
科学とは「仮説の積み重ね」です。
天動説やニュートン力学や天然痘の原因など、それまで常識だったことが覆されるのが科学の進歩です。
今信じられている理論だっていずれ覆されたり修正を加えられる日が来ます。
科学関係でご飯を食べている人は、このことを痛いほどよくわかっているので、あまり断定的な事を言わないのです。
さて、この科学的な態度が、神道にも通じるものがあると言われたら何の冗談かと思われるかもしれません。
科学と宗教なんていわば水と油ですから。
神道の「神」とは自然そのものですが、見えたり手で触れることはできません。
それでも、ともかく恐れ多いのでお社の前では頭を下げます。
人知を超えた偉い存在が常にいてくれるおかげで、人は何事にも謙虚でいられます。
そして、変に決めつけず謙虚に自然そのものを学び知ろうという態度が生まれるのです。
日本が欧米以外の国ではこれほど科学を発展させたのには実は神道の素養があったからだと、心密かに思っています。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
マイ・フェイバリット・拝殿の一つ多賀大社お社。全体のバランスが絶妙です
人は独りで考えに耽るくらいなら不快な刺激を好む? 米研究 (AFPBBの記事より)
以前、ディスカバリーチャンネルで凶悪犯ばかりが集まるアメリカの刑務所のドキュメンタリーを観ました。
そこでとある囚人が揉め事が起こして懲罰房に入れられる事がありました。
その厳しさで知られる刑務所ですから、彼には一体どんな試練が待ち構えているのでしょうか?
固唾を呑んで見守っていると、意外にシンプルでした。
真っ白な壁と天井に囲まれた、ただの狭く四角い独房です。
ここで二十四時間を過ごさせて、己の行動を深く反省させるというわけです。
最初はやけに甘い措置で、囚人も大層なご身分だなと思って観てました。
確かに窓もテレビもない部屋で気は滅入りそうですけど、一日くらいなら座禅の修行よりは楽そうです。
それに狭い部屋に安心を覚える人も結構いますし、何より問題を起こした嫌な連中と会わずにすみます。
しかし、彼の反応は驚くべきものでした。
しばらくしおらしくしていましたが、だんだんと挙動が変になり独り言をつぶやきはじめます。
そしてそれが叫び声になり、発狂状態になりました。
人は何もない部屋に閉じ込められるとものの半日で幻覚症状が出るのです。
皮肉なことに、彼にとっては他の凶悪犯達とのいざこざのほうがまだずっとマシでした。
それで改めて感じたのは、人間の脆さと孤独の恐ろしさでした。
知り合いの女性が「自分は無視されるくらいなら悪口言われてた方がマシ」と言ったのを思い出します。
上記事の研究でもそれは実証されているようです。
「うあー世の中を変えたい一心で」温泉などへの出張195回、野々村兵庫県議が釈明の号泣会見 謝罪は無し(JNNの記事より)
昔、通っていたとある現場で、専門学校出たての新人と一緒に仕事をこなすことがありました。
専門学校を出たばかりでまだ幼さも残っている、歳相応のごくごく普通の子という印象でした。
ほんの二月ほどの付き合いでしたが、とてもきつい現場でしたので、何度か彼の涙を見たこともあります。
そこで彼のある変化に気づきました。
まだ初めの頃は普通の口調で話していたのが、だんだんとヘンテコになっていくのです。
普通に「わかりました」と返事していところを「わっかりましたあ」と妙なアクセントがつきます。
「はい」と言っていた相槌が「はあ」とか「ええ」気の抜けた感じになりました。
言うなれば「業界人」ぽい言い回しで、彼のボスにそっくりです。
彼のみならず、多くの人がそうなっていくのですが、理由はよく分かります。
それは皆がかぶる「仮面」のようなものです。
時に怒号も飛び交う現場で、素の自分を出してはまともに傷ついてしまいます。
なので、仕事用の別の顔で機械的に対応することで、心を揺さぶられないようにするのです。
上記事の議員さんも、見る限りちょっとまともとは思えない様子でした。
でも、もともとは繊細で自分を出すのがかなり苦手なタイプだったんではないかと想像します。
そこで、その彼なりの苦肉の策が、感情を装い人と接することだったんじゃないでしょうか。
ただ、もともと自己表現が苦手ですから、人からすると大げさすぎて違和感を覚えさせてしまうのです。
福岡で女子生徒26人が集団的パニック状態。奇声を上げた生徒も(スポニチの記事より)
かつての友人Aさんの弟の話なのですが。
彼には子供の頃から仲良くしている友達がいました。
しかし、その友達は彼の家族からはあまり好意的には見られていませんでした。
というのも、彼がかなりのやんちゃで問題を起こし高校も退学してしまうようなタイプだったからです。
Aさんの弟は福祉の大学に通う世話好きの優しい子だったので、変な影響を受けないか心配されていたようです。
でも、お互い正反対なところが良かったのか、気味悪いくらいにいつも連れ立っていたそうです。
しかし、そんな二人の関係に突然終わりが来ます。
その友達が突然亡くなったのです。
詳しくは分かりませんが、いわゆる突然死で朝起きるとベッドの上で冷たくなっていたそうです。
いきなり親友を失ったのですから、Aさんの弟の悲しみは察するにあまりあります。
それにしても、その様子は尋常ではなかったようです。
彼の死後しばらくたってからも、突然火がついたように泣き叫ぶことがありました。
それも何の脈絡もなくいきなりそうなるそうです。
まるで、親友を失ったと言うよりは、まるで思い半ばで亡くなってしまった無念を嘆くかのようでした。
そして、他にも弟さんには心境の変化があったようです。
大人しい性格の彼が突然、空手を習い出したのです。
かなり熱心らしく得意がって家族にもよく型を披露したそうです。
Aさんには言いませんでしたが、こんなことを僕は思いました。
亡くなった友達がやり残したことを遂げるために弟さんに協力してもらっているのでないかと。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
上総一ノ宮の玉前神社。主祭神の玉依姫はシャーマンの巫女を指すとのこと
「練習は時間の無駄」生まれつきの才能がなければ楽器やチェスの上達には限界があるとの調査結果(IRORIOの記事より)
高校生の時、O君というクラスメイトがいました。
線が細く大人しい子でしたが、ご両親ともに東大出身との触れ込みです。
出自に違わず勉強熱心で、休み時間も黙々と参考書を開いていました。
しかし、テストでも思うような結果が出ず自分で自分を追い詰めてしまったようです。
入学後一年もしないうちに不登校になってしまいました。
O君には優秀な両親のもとに生まれ絶好の「環境」がありました。
しかし、残念ながらその「才能」は受け継がれてなかったようでした。
かねがね不思議に思っていることがあります。
日本人で子供の頃からどれだけ練習しても誰でも100メートル9秒台で走れるようになると思う人はあまりいません。
ところが、勉強は子供の頃の環境で誰でもほぼ無制限にできるようになると思っている人はとても多いです。
確かに努力すれば何でもできるというのは話として美しく道徳的に正しいです。
頭の中身は身体と違って目に見えませんから、なんとなく無限の可能性を信じたくもなります。
しかし、脳だって身体の一部である以上「身体能力」の一部です。
足の遅い速いがあるように、各自努力ではどうにもならない限界があることは知っておいたほうが良さそうです。
もちろん、子供の頃の環境はとても大事です。
それさえ整えば、才能あるなしにかかわらず大抵のことは人並み以上にできるようにはなります。
特技としてなら十分自慢できるようになるでしょう。
しかし、更に上を目指すなら話は別です。
そこまで期待するのなら、むしろその子の「才能」を見つけ、それにあった「環境」を整えていくことが大人の役割です。
アインシュタインのように天才でも学校教育ではそれほど才能を発揮できないケースだってありますので。