Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

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相手の自由に人はどこまで踏み込めるのか?

2015-10-28 21:53:24 | コラム

女子高生と〝駆け落ち〟逃避行 相思相愛でも「誘拐」か 27歳男逮捕、「二度とせぬ」誓いを破った代償 (産経ニュースの記事より)  

かつてサバルタン・スタディーズという一種の左翼・リベラル系のムーヴメントがありました。
その研究者の間で議論を呼んだあるインドの一地方の風習があります。

そこでは、夫が死んだら火葬している炎の中に妻も飛び込んで死ぬのだそうです。
普通に考えてひどいことですから、西洋の進歩的な学者たちはそんな馬鹿げたことをやめさせようと考えます。

しかし、妻たちは宗教上それを当然のこととして、喜んで受け入れているのです。
本人が「自らの意志で」やっていることを、どうして赤の他人が邪魔する権利があるんでしょうか?

そこで、こう考える人もいます。
彼女たちは閉鎖的な価値観に洗脳されているんだから、本当の自分の意思ではないという主張です。
たしかに、このインドの風習のいけないところがあるとすれば、しない自由が認められないだろうという点です。

とはいえ、それを言ったらその社会の価値観に洗脳されてない人間なんているんでしょうか?
そういうことは、真っ裸で平気で街を練り歩くようになってから言って欲しいものです。

上記事の事件の議論も似たようなところがあります。
子どもは判断力が未熟で洗脳されやすいから、本人の意思に反しても止めさせるべきだという意見があります。
でも子どもに自分の自由な意思が全くないなんてことは絶対にありません。

何が言いたいかというと、「相手の自由」というのは、それを絶対的にした瞬間から物事を急激にややこしくするということです。

細かい事情は置いておいて、僕なら夫の後を追おうとする妻を、本人の意思に反しても止めようとすると思います。
それも目の前で起きたらそうするだけで、西洋人のようにわざわざ現地まで行って啓蒙してやろうとは思いません。

そうする理由があるとすれば、理屈では説明できない「人としての共感」です。
相手の自由を侵害するかもしれませんし、結果的に間違ってるかもしれませんが、それでもその人のためを思えばとやることです。

結局最後に人を動かすのは、自由だ人権だと上からの善意の押し付けより、理屈を超えた感情なんじゃないでしょうか。


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