ルツ記1・16 しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることを私に勧めないでください。私はあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」。
ルツ記の時代背景は、「さばきづかさ(士師)が世を治めている頃」(1・1)とあるように、士師記と同じ時代の出来事です。
士師記の時代には痛ましい事件がくり返されていましたが、一方で、ルツ記のような麗しい物語もあったことは、荒野で泉を発見する思いです。
さて、表題にもなっている「ルツ」とは、モアブ人の女性の名です。偶像礼拝の民であったルツが、どのようにして聖書に登場することになったのか、そこに込められた神のご計画の麗しさを見て行くことにしましょう。
物語はユダの部族、ベツレヘム出身のエリメレクから始まります。カナンの地に飢饉があり、食うに困ったエリメレクは妻ナオミと二人の息子を連れてモアブの地に移住しました。
律法では「嗣業(しぎょう)の地を手放してはならない」と定められているにもかかわらず、その地を離れざるを得なかったのには、それなりの理由と後ろめたさがあったことでしょう。 ※「嗣業」……新改訳では「相続地」と訳されているが、単なる相続地を越えて、その地を神の御国に相応しく管理し治めるように使命を与えられた地であることから、「嗣業」と訳す方が良いと考える。
ところが移住先でもうまく行かず、エリメレクはふたりの息子マロン(マフロン)とキリオンを残して先立ってしまいます。
ナオミはふたりの息子のためにモアブ人の女性を嫁に迎えたのですが、そのふたりの息子も子をもうけずに死んでしまいました。その結果、残されたのはナオミとふたりの嫁オルパとルツだけでした。
移住から10年を経て、生きるすべを失ったナオミは、故郷のベツレヘムに戻ることを決意し、嫁たちには実家に戻るように勧めました。ふたりの嫁はまだ若く、実家に戻れば再婚の道もあるものの、このままイスラエルに連れ戻っても異邦人との結婚を禁じる地で再婚の可能性は皆無だったからです。
ところがルツは、義母のナオミと一緒に行くと言いだしました。戻っても身寄りのないナオミに、ルツは最後まで仕え、支えようと決心したのです。
ユダのベツレヘムに行っても、ルツは異邦人であり、イスラエルの人々から歓迎される保証はありません。それでもナオミと共に行こうとしたのは、ルツの心に主なる神への信仰が芽生えていたからです。
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」という告白にルツの信仰が表れています(1・16)。
モアブ人であったルツは、ナオミの中に息づいている信仰をとおして、まことの神を見つけることができたのです。ルツは、女としての自分の未来より、まことの神への信仰を選び取ったのです。
信仰とは、自分にとって、目先の都合が良いから信じられるというものではありません。都合が悪くても、神を信頼し、神に仕えることが信仰です。ルツの決断には、義母への信頼と共に、主なる神への信頼が込められています。
さて、ナオミにとって、故郷に戻ることはつらいことでもあったと思います。「私をナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください」(1・20)という言葉にも彼女の思いが表れています。
神の御言にそむいて嗣業の地を捨てて移住したことを、彼女は悔いていたことでしょう。「主は私をから手で帰されました。主が私を悩まし、全能者が私に災をくだされた」(1・21)との告白に、彼女の苦悩と後悔の念が感じられます。
せめて、家族全員が無事で、子孫も財産も増えて、故郷に錦(にしき)をかざるようにして戻ることができたなら、その悔いもすこしは晴れたことでしょうが、それもかなわなかったのです。格好の悪い帰郷です。
ベツレヘムの人々からは、「どの面(つら)をさげて帰ってきたんだ」と言われかねないナオミですが、でも、恥を忍んで戻ってきました。まさに、それは「狭い門」でしたが、そこからいのちが始まります。
大切なことは、神に立ち返ることです。
放蕩息子が父のもとへ帰ったように、本心に立ち返って神のもとへ戻ることです(ルカ15章)。彼も恥をしのんで戻りました。今更、息子と呼ばれる資格など無いと覚悟して戻ってきました。
しかし、すべては戻ってくることから始まります。
このあと、主がいかに恵み深い展開を用意なさっているのか、この時のナオミには知る由(よし)もありませんでしたが、約束の地、嗣業の地に戻ることから、その第一歩は始まりました。
ルツ記の時代背景は、「さばきづかさ(士師)が世を治めている頃」(1・1)とあるように、士師記と同じ時代の出来事です。
士師記の時代には痛ましい事件がくり返されていましたが、一方で、ルツ記のような麗しい物語もあったことは、荒野で泉を発見する思いです。
さて、表題にもなっている「ルツ」とは、モアブ人の女性の名です。偶像礼拝の民であったルツが、どのようにして聖書に登場することになったのか、そこに込められた神のご計画の麗しさを見て行くことにしましょう。
物語はユダの部族、ベツレヘム出身のエリメレクから始まります。カナンの地に飢饉があり、食うに困ったエリメレクは妻ナオミと二人の息子を連れてモアブの地に移住しました。
律法では「嗣業(しぎょう)の地を手放してはならない」と定められているにもかかわらず、その地を離れざるを得なかったのには、それなりの理由と後ろめたさがあったことでしょう。 ※「嗣業」……新改訳では「相続地」と訳されているが、単なる相続地を越えて、その地を神の御国に相応しく管理し治めるように使命を与えられた地であることから、「嗣業」と訳す方が良いと考える。
ところが移住先でもうまく行かず、エリメレクはふたりの息子マロン(マフロン)とキリオンを残して先立ってしまいます。
ナオミはふたりの息子のためにモアブ人の女性を嫁に迎えたのですが、そのふたりの息子も子をもうけずに死んでしまいました。その結果、残されたのはナオミとふたりの嫁オルパとルツだけでした。
移住から10年を経て、生きるすべを失ったナオミは、故郷のベツレヘムに戻ることを決意し、嫁たちには実家に戻るように勧めました。ふたりの嫁はまだ若く、実家に戻れば再婚の道もあるものの、このままイスラエルに連れ戻っても異邦人との結婚を禁じる地で再婚の可能性は皆無だったからです。
ところがルツは、義母のナオミと一緒に行くと言いだしました。戻っても身寄りのないナオミに、ルツは最後まで仕え、支えようと決心したのです。
ユダのベツレヘムに行っても、ルツは異邦人であり、イスラエルの人々から歓迎される保証はありません。それでもナオミと共に行こうとしたのは、ルツの心に主なる神への信仰が芽生えていたからです。
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」という告白にルツの信仰が表れています(1・16)。
モアブ人であったルツは、ナオミの中に息づいている信仰をとおして、まことの神を見つけることができたのです。ルツは、女としての自分の未来より、まことの神への信仰を選び取ったのです。
信仰とは、自分にとって、目先の都合が良いから信じられるというものではありません。都合が悪くても、神を信頼し、神に仕えることが信仰です。ルツの決断には、義母への信頼と共に、主なる神への信頼が込められています。
さて、ナオミにとって、故郷に戻ることはつらいことでもあったと思います。「私をナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください」(1・20)という言葉にも彼女の思いが表れています。
神の御言にそむいて嗣業の地を捨てて移住したことを、彼女は悔いていたことでしょう。「主は私をから手で帰されました。主が私を悩まし、全能者が私に災をくだされた」(1・21)との告白に、彼女の苦悩と後悔の念が感じられます。
せめて、家族全員が無事で、子孫も財産も増えて、故郷に錦(にしき)をかざるようにして戻ることができたなら、その悔いもすこしは晴れたことでしょうが、それもかなわなかったのです。格好の悪い帰郷です。
ベツレヘムの人々からは、「どの面(つら)をさげて帰ってきたんだ」と言われかねないナオミですが、でも、恥を忍んで戻ってきました。まさに、それは「狭い門」でしたが、そこからいのちが始まります。
大切なことは、神に立ち返ることです。
放蕩息子が父のもとへ帰ったように、本心に立ち返って神のもとへ戻ることです(ルカ15章)。彼も恥をしのんで戻りました。今更、息子と呼ばれる資格など無いと覚悟して戻ってきました。
しかし、すべては戻ってくることから始まります。
このあと、主がいかに恵み深い展開を用意なさっているのか、この時のナオミには知る由(よし)もありませんでしたが、約束の地、嗣業の地に戻ることから、その第一歩は始まりました。
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<You Tube>【一日一章】 朝マナ ルツ記 1章 【聖書通読】
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