列王紀上22・8 彼(預言者ミカヤ)は私(アハブ)について良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言するので、私は彼を憎んでいます。
先の21章から3年後のことです。北イスラエルの王アハブは、スリヤ(アラム)の支配下にあるラモテ・ギレアデを奪還すべく戦争の準備をしていました。そして、この戦争に南ユダ王国のヨシャパテの援軍を要請しました。
ヨシャパテはこの戦争が神の御心にかなっていることなのか、主に問うように求めました。主の御心を求める姿勢は大切なことです。しかし、問題はこのあとです。
アハブ王は、自分の都合の良いことを語る預言者ばかりを集めていました。そんな、預言者たちですから、アハブ王に解雇されないために、王の喜ぶようなことを預言していました。彼らは、神の御心を語るのではなく、アハブの心の代弁者たちです。
※ 政府が客観的かつ専門的な意見を求めるために、政府が招集する「諮問委員会」とか「有識者会議」なるものがあるが、この預言者集団もそれに似ている。時に客観性を欠き、政府の意向に添った提言してくれる者たちで委員会が構成される場合があるように、この預言者集団もアハブ王に忖度する者たちだった。
「預言」とは、神の御言を預(あず)かって語ることなのですから、王の喜びそうなことを意図的に語るなら、それは偽りの預言です。
王のおかかえ預言者たちは、今回の戦争は神の御心にかなった戦いであり、勝利すると預言したので、アハブは大いに勇気づけられました。しかし、ヨシャパテは不審に思い、彼らの他に預言者はいないのかと尋ねました。
すると居ました。それはミカヤです。
ミカヤは王アハブからは嫌われていました。なぜなら、「彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです」(22・8新改訳)。そのようなわけで、王の〝忖度預言者集団〟にミカヤは招集されていませんでした。
牧師も、新約の時代における預言者のような立場です。神の御言を預かって説教するのですから。
でも、誘惑があります。人々が聞きたいことを語り喜ばせようとする誘惑です。人々から嫌われたくない。良い牧師だと思われたいために、人々が嫌がるようなことを語らないで、都合の良いことを語ろうとする誘惑です。もちろん、新約は恵みの時代ですから、厳しいメッセージにも救いがあり、恵みがあります。ですから、霊的な感覚からすれば、喜ばれるメッセージ(預言)であるはずです。
また、立場を逆にして、信徒が自分に都合の良い話を聞きたくて、牧師に要求することもあります。すると、メッセージが歪んできます。神の御心を正しく語ることができなくなります。
アハブ王は都合のいいことを聞きたいし、預言者たちもアハブ王に気に入られたい……。こんな事を続けていると、何が神の御心なのか分からなくなって、惑わされるようになります。
人が悪を好むようになると、神はそれを引き留めるのではなく、それを加速させられることを、先の21章で見ました。偽りの預言の場合にも、それと似ています。
なぜ、王のおかかえ預言者たちが、「今回の戦争は御心だ。勝利できる」と預言するに至ったのか。天における舞台裏について預言者ミカヤは語りました。少し長いですが引用します。
すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座にすわり、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。そのとき、主は仰せられました。『だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか』すると、あれこれと答えがありました。
それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか』と尋ねられました。彼は答えました。
『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります』。
すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、その通りにせよ』と仰せられました。今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」(22・19~23・新改訳)
預言者に仕える天使が神の御言を伝えて、それを預言者が語るわけですが、この場合、その預言者に仕える天使が「偽りを言う霊」となって仕えるようになったというのです。
これは、新約の時代にも自戒しなければならない事です。なぜなら、聖書はこう預言しているからです。
「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです」(Ⅱテモテ4・2~4)。
自分の都合の良い話を聞こうとする時代……それは、キリスト信仰がヒューマニズムに影響されて、〝良いお話し〟を聞くための宗教に成り下がってしまった時代です。
時が良くても悪くても、つまり自分にとって都合が良くても悪くても、神の御言を真摯に受けようとする信仰が求められています。
「預言」とは、神の御言を預(あず)かって語ることなのですから、王の喜びそうなことを意図的に語るなら、それは偽りの預言です。
王のおかかえ預言者たちは、今回の戦争は神の御心にかなった戦いであり、勝利すると預言したので、アハブは大いに勇気づけられました。しかし、ヨシャパテは不審に思い、彼らの他に預言者はいないのかと尋ねました。
すると居ました。それはミカヤです。
ミカヤは王アハブからは嫌われていました。なぜなら、「彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです」(22・8新改訳)。そのようなわけで、王の〝忖度預言者集団〟にミカヤは招集されていませんでした。
牧師も、新約の時代における預言者のような立場です。神の御言を預かって説教するのですから。
でも、誘惑があります。人々が聞きたいことを語り喜ばせようとする誘惑です。人々から嫌われたくない。良い牧師だと思われたいために、人々が嫌がるようなことを語らないで、都合の良いことを語ろうとする誘惑です。もちろん、新約は恵みの時代ですから、厳しいメッセージにも救いがあり、恵みがあります。ですから、霊的な感覚からすれば、喜ばれるメッセージ(預言)であるはずです。
また、立場を逆にして、信徒が自分に都合の良い話を聞きたくて、牧師に要求することもあります。すると、メッセージが歪んできます。神の御心を正しく語ることができなくなります。
アハブ王は都合のいいことを聞きたいし、預言者たちもアハブ王に気に入られたい……。こんな事を続けていると、何が神の御心なのか分からなくなって、惑わされるようになります。
人が悪を好むようになると、神はそれを引き留めるのではなく、それを加速させられることを、先の21章で見ました。偽りの預言の場合にも、それと似ています。
なぜ、王のおかかえ預言者たちが、「今回の戦争は御心だ。勝利できる」と預言するに至ったのか。天における舞台裏について預言者ミカヤは語りました。少し長いですが引用します。
すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座にすわり、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。そのとき、主は仰せられました。『だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか』すると、あれこれと答えがありました。
それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか』と尋ねられました。彼は答えました。
『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります』。
すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、その通りにせよ』と仰せられました。今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」(22・19~23・新改訳)
預言者に仕える天使が神の御言を伝えて、それを預言者が語るわけですが、この場合、その預言者に仕える天使が「偽りを言う霊」となって仕えるようになったというのです。
これは、新約の時代にも自戒しなければならない事です。なぜなら、聖書はこう預言しているからです。
「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです」(Ⅱテモテ4・2~4)。
自分の都合の良い話を聞こうとする時代……それは、キリスト信仰がヒューマニズムに影響されて、〝良いお話し〟を聞くための宗教に成り下がってしまった時代です。
時が良くても悪くても、つまり自分にとって都合が良くても悪くても、神の御言を真摯に受けようとする信仰が求められています。
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