列王紀上20・13 あなたはこの大軍を見たか。わたしはきょう、これをあなたの手にわたす。あなたは、わたしが主であることを、知るようになるであろう。
北のイスラエル王国の物語が続きます。アハブ王の時代に、スリヤの王ベネハダデ(ベン・ハダデ)が連合軍を率いて攻め上ってきました。
※「スリヤ」という国名は現在の「シリヤ」の語源となっている。口語訳では「スリヤ」、新改訳では「アラム」となっているが同じ国である。ヘブル語聖書では「アラム」だが、70人訳聖書(ギリシャ語)では「スリヤ」と訳されたため、このような違いが生じた。 首都はダマスコ。
ベネハダデ率いる連合軍は32人の王による軍隊ですから、大変な数です。もはや絶体絶命。北イスラエル王国もここまでかと思われました。
これまで散々主の目の前に悪を行ってきたアハブ王ですから、神がお見捨てになっても当然と思える事態に、ひとりの預言者を遣わして ――この預言者はエリヤではない―― こう言われたのです。
「あなたはこの大軍を見たか。わたしはきょう、これをあなたの手にわたす。あなたは、わたしが主であることを、知るようになるであろう。」(20・13)
何と哀れみ深い神のご配慮。この戦いを勝利に導かれるというのです。それは、この勝利を通して、主こそまことの神であることを知るようになるためだと言われます。そして、イスラエルは絶体絶命のピンチに勝利したのです。
この戦いでスリヤ(アラム)の王は撤退するのですが、リベンジに燃えて翌春に再来。かつて日本を襲った蒙古再来のようです。
しかし、この時も主は、「わたしはこのすべての大軍をあなたの手にわたす。あなたは、わたしが主であることを知るようになるであろう」とアハブ王に語られました(20・28)。
主なる神は、アハブ王が悔い改めに至るのを忍耐深く待っておられます。アハブ王にさえこれほど待たれた神は、日本の民が悔い改めて立ち返ることにも忍耐深く待っておられます。 ※ここに人口の1%に満たない日本のキリスト教会の希望がある。
しかし、問題があります。アハブ王は主の助けによって勝利したにもかかわらず、悔い改めませんでした。なぜでしょうか。
「喉もと過ぎれば、熱さを忘れる」といいますが、罪を犯しながらも事態がうまく行くと、人の心は鈍くなります。「何だ、意外とうまく行くじゃないか。 罪を放っておいても大丈夫なんだ」という侮りが生じるのです。
神は、主こそ神であることを悟らせるために勝利させてくださったのに、そんな神の哀れみをよそに、侮りの心が生じたのです。
事態が好転したからといって、謙遜を忘れてはなりません。これは神の哀れみによる結果だと悟って、悔いし砕けし魂を取り戻します。
逆に、事態が悪くなった場合も、それもまた恵みです。悔い改めて立ち返れと主は言っておられるのです。主に目を向けるチャンスです。
事態が好転しても恵み。悪くなっても恵み。すべてが主の御手の中にあるので恵みです。アハブのように、神からの助けを利用し、世でうまく立ちふるまう者にはなるまい。
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