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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

涙のカウントダウン

2008-01-01 19:01:03 | Weblog
 大晦日は、軽く家の掃除をして、その後は買い物。

 近くにある「二十三夜ストア」に行くと、威勢の良い魚屋とうん蓄好きの肉屋に捕まる。その店は、零細スーパーなのだが、中に構える魚屋と肉屋の評判はとても良い。

 その夜招かれている「年越しの集い」に持っていく料理の食材を買いにいったのだが、魚屋ではむきエビを求めると、「ちょっと焦げちゃったから売らないけど、美味いから持っていきな」とカンパチの焼いたのをくれた。大きな切り身が三つも入っていた。

 肉屋では、もつや豚肉への店の主人のこだわりをひとしきり聞かせてもらった。

 午後は、持ち帰った食材に取り組んだ。

 わたしの作ったのは、モツの味噌煮込み。郷土の名産品である八丁味噌を使い、生姜、ニンニク、りんご、蜂蜜、コンニャク、シラタキと昆布や鰹節、キノコ類で作った出汁を長時間煮込んでいく。そこへ梅酒を足したりして仕上げた。なかなかの出来栄えである。

 一方、直子は生春巻きに初挑戦。ところが、意外に苦戦を強いられた。彼女は、初めて作るものでも情報があれば、手際よく作れるのだが、今回の生春巻きだけは例外だった。

 作り上げたものの、直子はそれを箱に詰める段になって悩みだした。納得の行く出来栄えでないから持って行きたくないと言い出したのだ。

 食べてみると悪くないから持って行って、その場の空気で出すか出さないか決めれば良いではないかと提案すると、了承。渋々作品を詰めだした。

 集いの場所は、大宮からニューシャトルで20数分。伊奈中央駅の近くにある「蕎麦きり さいとう」。ここに10数名が集まり、毎年「行く歳来る歳」を共に過ごしている。今年初めて私たち夫婦もお招きに与った。

 集まる仲間たちは同じ中学の同級生が主なメンバーだ。彼らは2008年、そのほとんどが36歳になる。年男・年女である。

 彼らとの縁は20年前、伊奈中学校の卒業記念講演会に私が招かれたことから始まった。

 私の講演はかなりのインパクトを与えたようで、その後も彼らとの付き合いは続いている。中には、夫婦付き合いしている者もいる。

 私たちが姿を現すと、今まさにカンパイが始まろうとするところ。グッド・タイミングの参加となった。全員から歓声で迎えられた。

 持ち寄られた食べ物飲み物は、どれをとっても秀逸のもので、それに臆した直子は自分が作った生春巻きを出さずじまい。

 私も実は少々料理を出すのに気が引けた。それは、この店の主が、腕によりを掛けて作った品の一つがモツ煮込みだったからだ。だが、そこは生来のずうずうしい性格だ。そんな不安を見せずに参加者に披露をした。

 みなの反応が気にならないと言えばウソである。ただ、彼らも、たとえうまくなくても正直な感想を口に出せないであろう。

 そんな時、ある人物の反応を見て煮込みが「受け入れられた」と安堵した。ある人物とは、店の主人の長男(小学校3年生くらい)である。彼が、私の作った煮込みが入れられた大鉢を抱えて食べていたのだ。

 直子は、店の主人から出される日本酒が事の外気に入ったようでグイグイ飲んでいた。私が飲めない分、彼女に飲んでもらえると場の雰囲気を壊さないので基本的に彼女の飲酒を歓迎している。

 だが、昨夜はそこで腰を落ち着けて飲んでいるわけにはいかなかった。そこから横浜まで2時間掛けて移動しなければならなかったからだ。

 直子はこれまで30年間、家の外で行く歳来る歳を迎えたことがないと言っていた。そう聞いた僕は、横浜の港で汽笛の中をカウントダウンしようと提案していた。

 酒が入って動きが鈍くなった直子をせかして店を後にすると、我々は寒空の中、全力疾走して予定の電車に乗ろうとした。だが、嗚呼無常。電車は我々を乗せずに発車してしまった。田舎の路線だ。次の電車は15分後だ。下手をしたらカウントダウンに間に合わないかもしれない。

 こうなると、“ワザ”を使うしかない。そこで、携帯ネットで時刻表を調べ上げ、大宮から京浜東北線一本で行けるところを3回乗り換えて時間短縮して先を急いだ。

 最初に予定していたのは、山下公園の埠頭で停泊中の船から鳴らされる汽笛を聞きながら新年を迎える計画であったのだが、電車に乗っている若者達の会話と人の動きから横浜みなとみらいに予定を変更した。

 寒風の吹き荒ぶ中、大観覧車に向かった。その近くで花火が上がると聞いたからである。

 絶好の場所に立つことが出来た。運河の岸に造られた花火の打ち上げ設備の直ぐ近くだ。

 直子は早口に訳も分からないことを口走るようになりはしゃぎまくった。これは彼女が最高に興奮している証だ。我々は直ぐ隣に陣取ったインドネシアの若者たちとも仲良くなった。

 そして、カウントダウンが始まった。

 午前零時。船の汽笛と共に花火が一斉に上げられた。次々に夜空を彩る花火に観衆から歓声が上がった。ヴィデオを撮っていた私は、数分した時点で直子にレンズを向けた。彼女の目から大粒の涙が流れ落ちていた。

 「私はずっとこんなカウントダウンを夢見ていたの」
 直子は私に喜びを最大限の表現で口にした。寒さは全く苦にならなかった。隣のインドネシアの若者たちとも握手をして新年を祝った。

 そこから今度は近くの広場で大道芸を見た。クリスマス・イヴに山下公園で見た芸人とその先輩の二人のストリート・パフォーマーが100人以上の観客を集めてファイア・ショーをやっていた。失敗ばかりの前回と違い、寒くて風は強かったが、中々の出来栄えで観客から歓声やどよめきが上がり、それになにより笑いが絶えないショーで楽しいものとなった。

 ショーが終わって投げ銭せずに帰る客も多くいたが、結構な人数の人が、回される帽子にお金を投げ込んだ。

 そこからわれわれは電車に乗り、今度は神田明神へとお参りに向かった。最寄り駅の秋葉原にはあまり人の数はなかったが、神社周辺や境内には人が多く集まっていた。

 おみくじは、直子が大吉。そして僕が中吉。そういうことをどうでも良いとする僕に比べて直子は結構気にする性質である。「そんな勘がしたの」と、素直に大吉が出たことを喜んだ。

 参道にある店に入り、正月に自宅に来る訪問者たちと遊ぼうと、いろはカルタ、おはじき、福笑い、おみくじ入り菓子などを買った。

 神社を後にして駅に向かった。時計の針は4時近くになっていた。身体が冷えたから少し温まろうと、二軒のインターネット喫茶に足を向けたが、いずれも満員と断られた。仕方なくそのまま電車に乗り家路を急いだ。

 南浦和からは自転車にまたがり帰宅を急いだ。寒かったし、疲れていたが、心は幸せな気持ちで満たされていた。還暦にしてこのような新年の迎え方をするのは無謀と言えるかもしれないが、本当に楽しかった。

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