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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

TV出てた?

2007-02-05 14:46:36 | Weblog
 「浅井さん、TVに出ていたね」
 
 電話の声を聞いただけでその主はすぐに分かる。私の敬愛する弁護士、Nだ。彼は抜群の頭脳と洞察力、それに加えた行動力で法曹界のみならず、様々な分野でその名を知られる。ここ数年は、「国際縄文学会」の活動で世界を飛び回っている。昨年も突然電話してきて、「どこにいるか分かるう?」と、まるで小学生のような口ぶりで私に問いかけて笑わせた。なんと、南アフリカからの電話だった。

 今朝は、渋谷にいるとのことで、駅にあるたくさんのTV局の画面の中に私を発見。嬉しくなって電話をしてくれたようであった。

 「ずいぶん長く出ていたね。しばらく見ちゃったよ。最近浅井さんがあまりTVに出ないからさあ」と言って訳の分からないことをしばらく話すと電話は切れた。

 なんのことはない。一種の「元気かい」コールであった。彼とは先週会って食事をご馳走になっており、ご無沙汰と言うわけではない。

 それにしてもありがたいことだ。この年になっても何やかやと世話をしてもらえることは、滅多にあることではない。これからもこんな人間関係を大切にしていきたい。

アド・バイクは否!

2007-02-05 10:54:00 | Weblog
痛い。う~ん、なんとも痛い。

 有効かつ「環境」をアピールできると考えて予定していた
「アド・バイク」の使用が選挙管理委員会から先ほど、「否」
の判定。

 アド・バイクとは、僕のパートナーの友人で「広告をエコに
!」「エコな広告で、人と社会をエコにする!」と外国で購入
してきたバイクを使って環境にやさしい広告媒体として北澤さ
んが始めた新しい形のメディアである。

 お金はかかるが、この手法に対する期待が大きかっただけに
残念でならない。

 それにしても公選法はおかしな法律だ。この件でも、自転車
にエンジンがついていれば、選挙カー扱いになり「○」。自転
車だから街中を走らせてもいいが名前を大書したポスターや幟
をつけるのは「×」だという。

 自転車を連ねて選挙活動をする陣営を見かけるが、彼らは巧
妙に法律の隙間をすり抜ける。自転車に乗る人間に名前を大書
したたすきをかけさせたり、選挙カーが伴奏して名前を連呼す
るのだ。

 私の尊敬する先達の一人がDon Quijoteだから近くの浦和競馬
場に忍び込んで競走馬を拝借、それをロシナンテと名付けて走り
回るのはどうかと選管に聞こうと思ったが、相手は役人だ。僕の
ユーモアを解してくれない可能性もある。思わず口をつぐんだ。

 これで、予算に余裕が多少出来たが、他の宣伝方法を考えねば
ならず、う~ん、またまた思案投げ首。

そのまんま東知事の決断

2007-02-05 00:37:54 | Weblog
 北九州市長選で無所属新人の元衆院議員北橋健治氏(53)=民主、社民、国民新推薦が当選した。私を講演に招いてくださった方からも先ほど、「ほっとしています。流れが、変わっていくような気がします」という内容のメイルを頂いた。

 「箱物行政」がどう変わっていくか、大いに注目したいものだ。

 同じ九州で話題になった宮崎のそのまんま東知事が、もう訳の分からぬことをしている。知事選で戦った対立候補二人に対して副知事就任を打診していたことが明らかにされたのだ。二人の経歴はと言えば、経済産業省課長と林野庁長官だ。これで、彼が政策集団を持っていないことが周知の事実となった。

 この人選に自民党関係者は当然のことながら大歓迎。県議会自民党会派の永友一美会長などは「びっくりした。過去には触れない人選で、知事は大変な方だと思った。あっぱれな人選だ」と述べたと伝えられている。

 青島幸男氏の二の舞を舞う日もそう遠いことではないかもしれない。



夫婦のロマン

2007-02-05 00:20:30 | Weblog
 私には絵心というものがない。それに加えて、絵を描く才能もない。小学校から高校まで私の通知表の美術の評価は常に「2」。中学校の一年間だけ、不思議なことに「5」が付けられたが、それは教師が恐らく何かの手違いで付けてしまったと私は確信している。

 だから、世界の代表的な芸術品を納めている美術館の近くを通りかかろうと、中に入ることはしない。だが、画家の歩んできた道が面白かったり、一枚の絵に物語が隠されているとなると、俄然興味を抱く方だ。日本画家の平山郁夫さんや「原爆の図」で知られる丸木夫妻の作品を見たいと、美術館まで足を運んだ。

 3日に北九州に行った時、私を門司港に連れて行ってくれた方が、自分の叔父に中山忠彦という画家がいて、その画家が自分の伴侶だけをモデルにして描き続けているという話をしてくれた。

 素敵な話だ。聞くところでは、中山画伯は若かりし頃、会津若松に写生旅行中、電車の中で見初めた女性と結婚したという。それから40年余、その伴侶をずっとモデルにしてキャンバスに描いていると聞いて私は感動した。何か、私の思いすごしかもしれないが、夫婦のロマンを感じてしまったのだ。

 家に帰り、インターネットで画伯の名前を検索してビックリ。洋画家としては日本を代表する人物であった。