東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

目白新坂~七丁目坂

2010年12月28日 | 坂道

目白新坂下 目白坂下を首都高速の下のあたりで左折し、北側に進むと、左手から緩やかに下ってくる大きな通りに出る。ここが目白通りの目白新坂である。坂上で少し右にカーブして先ほどの椿山荘や大聖堂の前に至る。坂下で音羽通りにつながる。

明治20年代(1887~1896)半ば頃、新しく開かれた坂で、古い目白坂のバイパスである(岡崎)。椿坂、新坂ともいう。

 「新撰東京名所図会」に次のように記されているとのこと(岡崎、石川)。

「椿坂 音羽八丁目と同九丁目の間より西の方関口台町へ上る坂あり椿坂といふ、近来開始する所。坂名は椿山の旧跡に因むなり。里俗また新坂ともいへり。道巾広く傾斜緩なり。」

椿山について「御府内備考」に次のようにある。

「椿山 椿山は鎌倉合戦の頃此邊の伏勢を入置し事あり其頃より椿多くありて名もきこへけるとそ」

目白新坂上むかしは椿の名所であったらしい。椿山荘は山県有朋の隠邸で、土地にちなんで椿山荘と号した(石川)。

写真はカーブした先の坂上から撮ったものである。

明治地図を見ると、この坂ができており、目白坂よりも幅広である。戦前の昭和地図には新坂とある。

坂上北側に獨逸協會學校が明治16年(1883)西周を校長として設立された。独協大学の前身で、いま、独協中学・高校がある。

この坂には説明板が立っているらしいが、気がつかなかった。といっても広い通りで、反対側に立っているとわからない。

7丁目坂上 目白新坂の坂上を独協中・高の手前で右折し、小路を進み、突き当たりを右折し道なりに歩くと、7丁目坂の坂上(頂上)に至る。石段坂でまっすぐに下り、下側で左にカーブしている。

石垣と壁で狭くなっているが、風情のある坂である。中腹に樹が一本立っている光景がよい。坂上から音羽の方が見える。ここは、ちょうど先ほどの目白新坂と平行に延びる道筋である。

山野の坂ガイドにしたがってはじめてこの坂を訪れたとき、階段坂であることを知りうれしくなって、階段をかけ下りたことを覚えている。

尾張屋板江戸切絵図を見ると、目白坂上を北側に進み、途中右折すると、御賄組のわきに東へ北へと曲がりながら続く道筋があるが、いまの坂に相当するとしたらここかもしれない。

7丁目坂下 写真は7丁目坂下側から坂上を撮ったものである。坂はこの下でカーブして坂下の先に関口三丁目公園がある。

明治地図を見ると、獨逸協會學校の南側に目白新坂から入る小路があり、そこをたどっていくと、この坂に至るようである。坂下を進むと、音羽の谷筋に至り、そこが音羽7丁目であることからこの坂名がついたのであろうか。

戦前の昭和地図にもこの道筋はのっているが、現在のような石段であったかどうかはわからない。 ここは、説明板がなく、また、横関、石川、岡崎のいずれにものっていないので、これ以上のことはどうもよくわからない。

坂上にもどり、来た道を引き返すが、このあたりに佐藤春夫旧居跡があるはずと思って探し、ようやく見つかった。独協中・高の南側の小路の突き当たりを右折し、次を右折した突き当たりである。

佐藤春夫旧居跡 説明板によると、佐藤春夫(1892~1964)は、昭和2年(1927)から終焉の昭和39年5月6日までここの異国風の住居に住んだとのことである。

佐藤春夫は、永井荷風を師と仰いでおり、「小説永井荷風伝」もあることから(以前の記事参照)、そんなに読んでいないが親しみのある作家・詩人である。

「ことし四月四日に私は小石川の大先輩、Sさんを訪れた。Sさんには、私は五年前の病気の時に、ずいぶん御心配をおかけした。ついには、ひどく叱られ、破門のようになっていたのであるが、ことしの正月には御年始に行き、お詫びとお礼を申し上げた。それから、ずっとまた御無沙汰して、その日は、親友の著書の出版記念会の発起人になってもらいに、上がったのである。御在宅であった。」

太宰治「東京八景」の一節である。小石川の大先輩、Sさんというのは、佐藤春夫と思われる。これを読むと、太宰は佐藤春夫をかなり頼りにしていたようである。第1回芥川賞の選考(以前の記事参照)のとき、佐藤春夫は「僕は本来太宰の支持者であるが・・・」のコメントを残しており、二人の関係がわかる。このころ既に太宰の才能を認めていたようである。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
太宰治「走れメロス」(新潮文庫)
永井龍男「回想の芥川・直木賞」(文春文庫)

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