犬と暮らせば

父その6 77年前 8月15日 玉音放送の日

1)8月10日に 長崎に また新型爆弾がと 噂がながれた 
 15日 正午に 将校以上は お城(本営)の中庭 集合と 連絡が
2)歩けるまで回復した父は 仕舞ってあった 真新しい 軍服を着た
(これは 軍票で買った 将校の義務だと 言ってた)
3)放送は 何言ってるか 解らなかったが 負けたのは 解った
4)泣いてる上官が多かったが 父は涙が出なかったと
「何とか成る 生きてさえ居れば」 と 思った だって
「俺は 2回 海に浮いて 日本に戻って来れたんだから」 と


コメント一覧

samubuto
お父様の原爆体験記、拝読しています。
助かって戦後を生きて、本当によかったですね。
それにしても核兵器のむごたらしさ。
忘れないように、そして伝えていかなければと改めて思いました。
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