犬と暮らせば

2008/2

バースデー プレゼント
2008-02-29
 お誕生日のお祝いのプレゼント。プレゼントを強いて日本語にすると「ご祝儀」でしょうな。2月16日が僕の誕生日で60歳になった。

 家族がケーキを焼いてくれて、一緒に家でご飯を食べ、東京の女房の母から「お祝い」と書いた「のし袋」を貰った。

 僕が子供の頃は、お誕生日会はまだハイカラで、呼ばれると「そんなアメリカみたいな事をして良いのかな?でも嬉しいな。」と言う雰囲気だった。

 多分、お正月が日本人全員のお誕生日で神様からお年玉を貰う。という事から、一人一人が「特別な日」を持つという考えをコピーする時期に僕は育ったのだろう。

 マクドナルドのお店でコーナーを貸し切り「xx君のお誕生日会」と書いてあると何だか「母親の手抜きか」と思うのは僕の悪い癖なのかもしれない。

 昨日、誕生日のお祝いを学校の若い3人から貰った「家族でお食事でも」としてホテルの食事券だった。自分の親が死んで10年は経つので、お祝いをしてくれるような「甘えるところ」が無かったので、新しい親が出て来たような気がした。

お休み
2008-02-28
 日記を3日も休んだ。体操も3日つづけて休んだ。走れない。3分で息が上がる。

 年は取りたくないが、60歳を超えた。仕方がないのだろう。年寄りほど準備体操がいるのだ。

 3分間を走って休み、更に8分間を走って休み、ようやく少し走れるようになった。1時間10kmを目標だが9.2kmで動けない。まだ少し足りない。

 4月20日には秩父宮でもう一度ラクビーをしたい。壊れないように体を作ろう。

入試問題
2008-02-24
 受験生の親に頼まれて、数学の問題を見ている。でも半分の気持ちは、自分の息子が受験する時に、親として自分が問題が解けるか?と気にしている点もある。

 仮にも大学教授と言う名前を貰っているのだから、大学の入試問題くらいは国語でも英語でも数学でも社会でも科学でも分からなければ、入学してくる学生に申し訳ない。と思う。

 もし入学試験の内容を知らないと「先生、高校と同じ授業をしないで。」と学生に言われてしまう。学生は問題は解けなくとも、問題を見たことも、高校で説明を聞いたことも覚えている。

 それを大学でもう一度おさらいすると。「高校と同じ事やってる。」と余計に聞かなくなる。だから試験内容は知っておく必要は有ると思うのだが。

インターナショナル、スクール
2008-02-23
 2月19日に僕がインターナショナルスクールに行けなかったので、僕のゼミの学生の2人が行った筈なのに、どの様な内容か分からなかった。

 娘がインターナショナルスクールから帰って来たので、比治山の学生が行った筈だけど、如何だった?と聞くと、「ヒロ」という学生が面白かったと答えが返ってきた。

 所が、ゼミの飲み会で下岡君に「インターナショナルスクールは如何だった?」と聞くと「先生にそっくりな黒い髪の女の子が話しかけてきた。ダンスの授業に参加させられた。」との事

 その子は僕の娘だよ、日本人だったろう。「エー先生の娘さんあそこに居るのですか、ノビノビとして良い所ですね。」と

 

卒業生
2008-02-22
 3月に卒業する4年生が「先生、飲もう」と声をかけて来た。男女4づつで8人の仲間だ。家に引き蘢りをしていると、お誘いがうれしい。

 何故か昨日は昼にお隣の先生が「饂飩」を食べに来てくれ、夜は学生の飲み会とかさなった。

 「先生、三重県の津に配属がきまりました。」とか「可部の支店です。」とか社会人に成って働く場所が決まってくる。

 「おい、3年間は営業はビリで通せよ、気張るな。」と言うと「エッ、良いんですか?」と来る。「先生の言う事は、ホントなんだけど、聞くと驚く。」と続く。

 「入社試験で先生の講義通りのアスベストやマグロの急速冷凍の問題がでて、ヒヤー助かった、と思うから、信用したいのですが、売らなくて良いのですか。」

 「大丈夫だ、人柄が良いから君は、ドジの怒られ役を3年やりなさいよ。中学3年間を卒業して高校生に成ってから中学の問題やれば解けるから。3年はユックリするんだよ。」と言うと「それなら楽だ。(らくだ)」と半分ほど納得してくれた。

市立図書館
2008-02-21
 市立の図書館には自習室がある。120人くらい入れる大きな部屋が4人ガケの机が並んでいる。
 
 朝9時に行くと人がドントン来る。10時には80人程になる。昨日で3日間通ったが同じ顔ぶれが多い。

 「先生が学校に居らん。」と学生が携帯を鳴らすので、「市立の図書館においで。」と呼ぶ

 図書館に僕を訪ねて来た学生が「ヒヤー、真面目に勉強してる、ここに通っていたらいた、xx大学に来ないだろうね。」と下を向いて言った。

忘れ物が戻った
2008-02-20
 羽田で喫茶店に忘れた、お土産の事はを忘れようと思った。「自分の失敗を再確認しても仕方ない。」「嫌な事は忘れよう。」と思って黙っていた。

 でも口に出せば悔しさ(くやしさ)は分かち合えるのではと、女房に話すと「大丈夫よパパ。此処は日本よ。電話して宅配便で送って貰えば。」と日常茶飯事のように答えが返る。

 ネットで電話番号を調べ、かけると「忘れ物係」へ預けたとの事、またネットで調べ、電話をかけると、「有りますよ、送りますから御住所を。着払いですよ」との事

 2日がかりで、1300円余分に払って2600円のお土産が届いた。「安い物を手に入れる」のは易しくない。

喫茶店
2008-02-19
 朝の7時から開いている、喫茶店がある。家から歩いて5分程度の距離だ。コーヒーは家で飲んだ方が美味しいが、広いテーブルが使える喫茶店はありがたい。

 昨日はこの喫茶店で英語のカセットを聞いていた。英語のカセットなど、勉強しようと思えば、自宅でも学校でも「やろう。」と聞こうと思えば聞ける。

 でも。カセットと本だけを持って、余分にお金を払ったコーヒーを前にして、自分に割り当てられた椅子と机だと、あまり「やろう」と思わなくても、他にする事がないので出来てしまう。

 何でも何時でも「やれば出来る。」と思ってやらないより。210円のコーヒーを高いと思わず。自宅を出た方が「やれる」のカモ知れない。

 家では勉強しないけど、予備校に行くと勉強する学生みたいのようだ。キット他人が何処かで見ていて呉れた方が良いのだろう。

 モットモ、今更、英語を聞いても使い道が限られてて、仕方ないのだが

アッ 忘れた
2008-02-18
 羽田で無料で時間制限なしにブログが書ける場所がある。ANAの3階のエクシオシオールというコーヒ屋さんだ。無論コーヒーを頼むのは礼儀だろう。

 広島に向かう待ち時間でブログを書いてたら、何か変だなと思った。何だろうと時計を見ると、僕は14:40分発の飛行機なのにもう27分だ。「あの混雑した荷物検査をカイ潜ら(くぐら)なければいけない。」と焦った。

 慌てて鞄を掴んで(つかんで)駆け出した。何とか飛行機に間に合って座席について、フッと気がつくと広島へのお土産をコーヒー屋のテーブルの下に置いて来た。

 僕は何でも早とちりだ。直ぐ動く。良い時も悪い時もある。あまり事前に予約を入れない僕の人生のようだ。でも2600円のお土産には気が残る。

日比谷高校の同期会
2008-02-17
 赤坂で開かれた還暦祝いの同期会は、高校のときの同級生が180人集まった。40人のクラスが9クラスあったから半分の出席だ。

 この高校へは同じ大森3中から何人か行ってるので6年間同じ学校の友達がいる。

 男子は殆ど覚えているが女の子は知らない人が多い、何せ僕は女の子に目覚めるのが晩稲(おくて)らしく

 60歳になって「浅井君、同じ中学から行った私を覚えてないの?」と女の子(還暦を迎えているが)怒られた。

 「浅井君は少しマトモになった。今の方が良いよ。」と言われると、僕はどんな高校生だったのだろうと心配になる。

 自分でも性格が悪いのは知っているが、高校の中間の僕のイメージは「デブ、傲慢、ラクビー部」で「良いとこの、お坊ちゃん」だそうです。

東京
2008-02-16
 朝から 東京へ向かう
60歳の誕生日が高校の同窓会なのだ

 少し遠いが昔の顔が見える、60に成ると生まれ変われるのだろうかと心配しながら飛行機に乗る。

 電話で昔の仲間に「俺は変化できるかな?」と聞くと
「もう充分、変化してます。今は普通の人です。」と来た

 仕事をしている時は、普通の人ではなくて仕事以外はお付き合いしたくない、と思いましたと電話口で言われた

 高校時代の仲間には「昔からチットモ変わらない。」と言われるだろう、道行の飛行機のなかで顔が変わって行く。

ヴァレンタイン
2008-02-15
 今年の2月14日はチョコレートが2つ来た、女房のを入れると3つになる。学校がこの時期は休みだから。と言って先週に女学生が持って来たのを入れても4つにしかならない。

 でも女学生の呉れたのは、通りがかりの話のついでのようなチョコレートだったので有り難みが少ない。

 だから僕に来たのはやはり2つである。1つが娘のもう一つがスポーツジムに行ったら受付で呉れたのの2つだ。スポーツジムのは、たまたま行ったら、用意してあった。と言うだけで僕に用意してあった訳ではない。

 学校に来る5年ほど前の会社つとめをしていた頃は「幾つ来た?」とチョコレートの数を競った時期も有ったような気がするが、それほど大量にチョコレートが食べれないので2−3日は机の上に置きっぱなしだった。

 「浅井さん、そんなに見せびらかして自分で持って来たの?家にもって帰れないの?」と言われた事を思い出す。

 でも貰う数が少なくなると「有り難み」が分かるような気がする。娘が家に置いてあった「父」と書いてあるチョコレートを昼ご飯のデザートとして食べた。

 で夕方、娘が帰ってきたので「ありがとう。美味しかった。」というと
「エッもう食べた?父さん、あげる前に食べちゃダメだよ。」と言われた。

図書館
2008-02-14
 昨日から図書館に通っている。図書館で閲覧席の券をもらう。閲覧とはナンとも古いと言うか、専門用語というか、これ以外は閲兵式くらいしか思い浮かばない。自分の漢字の知識の無さが恨めしい(うらめしい)。

 気持ちの良い椅子に木目の机で目隠しのようにお向かいさんと目が会わない高さに衝立(ついたて)が立っている。勉強に集中できる雰囲気だ。

 でも張り紙がしてある。多分、全ての席にしてあるのだろう。ヒラヒラした頼りない(たよりない)紙である。その紙に書いてあるのは「受験参考書を持ち込んではイケナイ。」と読める。

 図書館では勉強してはイケナイのかと、思わず60の爺さんである僕がムカッとした。例えば、不動産鑑定士の勉強をしようとして参考書を持ち込んで、勉強してはイケナイと読める。

 で閲覧の際に貰った、閲覧券なるものを見てみると、「社会人席」と書いてある。此れは学生と子供は使ってはイケナイとも読める。何とも口うるさいオバンとお義理でデートに出かけるような気分に成ってきた。

山葵(わさび)
2008-02-13
 「先生、就職に受かるように、美味しいところ、早く教えて、言うようにするから。」と現実味のない学生の申しでである。

 僕のゼミは就職率が良いとの噂でも立っているのか、他のゼミからも「あのー4年です就職が失敗してるのですが」とドアを叩く。

 人から、他人から、学校から何か貰える(もらえる)とまだ思っているのだろう、基本姿勢は「くださいな」なのだ。

 子供のころに駄菓子屋に「おばさん 飴 ちょうだいな」みたいな「カッコイイ就職 ちょーだいな。」と言った感じである。

 「学生でも寿司は食べるだろう、少しは山葵の利いた寿司でないと、食べた気がしないはずだ。君はどの部分が山葵だ?」と4年生の就職が決まってない男の子に聞くと、
 
 「うー」と言って、やさしい甘い顔で首をかしげる

学校と就職
2008-02-12
 大学で就職用の講座が今は必要なのだろう。ダイガク出の(大学を卒業したという言葉)就職先が少なり、大学さえ出ておけば、何とか仕事はあると言う時代が終わり、

 「大学は出たけれど」と言うことばが流行った(はやった)時代はトウにすぎて、今は「大学くらい出ておけよ」の時代なのだろう。

 今、僕は講義をしているのだが、学生がよく聞くのは僕の職場での経験談なのだ。

 学生が卒業した後に就職して職場に馴染み(なじみ)易いように話していくと、学生はテレビのドラマより現実味があると思うのか僕の実際の体験を静かによく聞く。

 「教師は学生が育てる、」とか「教師は学生から学ぶ」と言う事を言う先生もいるので「学生が聞く」内容を話していると就職の講義になってしまう。

学校が全て
2008-02-11
 アルバイトや体育系の部活(こんな言葉もあったのだ)をしている学生は就職になじみ易い。

 でもお勉強が得意な学生は、ナカナカ上手く行かない。その理由は幾つかあるのだが、学校と就職と同じであって欲しいという
「変化を怖がる」という願望かもしれない。

 だから就職なら、教員の免許のように、就職免許の為の授業があって、先生が教えると思い込んでいる。そして、その通りすれば、言い換えると、学校の成績さえ良ければ良い就職先がある。と思い込んでいる。

 なにより「先生が教えるのが当然。」と思い込んでいる。だから就職も教えて呉れると思い込んでいる

 世の中は自分で生きるもので、

就職の面接
2008-02-10
 自分の名前を言うだけで、時間がかかると誰も思ってない。名前は「相手が知ってるものだ」と思って行動する。

 学校の試験が最大の試練だったから、試験に対応する以外の方法、例えば普通の人に普通のご挨拶をする方法を知らない。

 必要以上に、慣れない敬語や難しい単語を使いたがる。それが学校の試験にでたので、就職の面接も同じだと思い込む。

 なぜ大学で心理学を専攻したの?と聞くと
「はい、容姿の点で劣等感がありまして。」と答えるから

 僕が「(貴方の回答は)正しいけど、面接で受けるかどうかは不明だよ、例えば言い換えてーーーーー

 『もう少し、いい男に成りたかったけど、成れないから、心理学でも学んで言い訳でも考えようか』と回答できれば、相手が笑うかもしれない。よ」と言い

 「面接で面接官を笑わせたら勝ちだよ、」と言うと、「そんな面接、有りですか?」と答えが返ってきた。

まだ名前を覚えトランの
2008-02-09
 3年生も履歴書の書き方で相談にくるが、売れ残った4年生のが先なので3年を待たせておいて4年生と話す。

 就職の面接を真似て、「自分で、カガミ見てしゃべってゴラン。」と僕の部屋で、名前を言わせる。

 自分の名前をハッキリ爽やか(さわやか)に伝える訓練が出来てないので、名前を言わせるだけで5分はかかる。

 「ハッキリ言ってゴラン」と言うと大声に成ったり、つばが出たり、不機嫌な声になる。

 学校で12年間も名前を呼ばれ「はい」と答える習慣と先生が(相手が)名前を覚えるものとの「お客様の傲慢(ごうまん)さ」からか

 爽やかに気分良く相手に自分の名前を覚えてもらおうと言う気持ちがない。

 待たしておいた3年生の履歴書を読みながら、「ヘーこんな名前だったのか?」と驚いていると

 気配を察したのか3年生が「先生、アタシの名前まだ覚えトラんでしょう。」とクスッと笑った。

ピー逃げ
2008-02-08
 「先生、カッコわりぃー(悪い)。ピー逃げも出来んこの学校。」と1年生が言う
「なんだそのピー逃げ?と言うのは」と聞くと

 出席カード(学生証の裏のICチップ埋め込みプラスチックカード)を教室のまえのカード読み取り機(リーダーと言うらしい)に「ピッ」と通して机に座らずに出席にして学校をサボる事らしい。

 リーダーなんて聞くと昔の中学生の英語の教科書を思い出すようでは学生に付いて行けない。「そうかピー逃げか。」と新しい単語を自分の頭に入力する。

 「この学校は未だに 起立 礼 おはようございます で 名簿見て一人一人名前呼んでるよ。マジ有り得ん、今時の小学校でもセンよ(しないよ)」

 「アッツ(浅井)先生は別よ、出席がメールだから、先生ならメル逃げだよね。」と世の中は変わる者と、変わらない物がある。

ブログ
2008-02-07
 このブログなる言葉を知ったのは、つい4年ほど前のことだった。色んな新しい言葉が出てくる。

 ウユーチューブなる単語も2年ほど前に「なんだコリャと思う」程度のものが今では画像の力でブログを凌ぐ(しのぐ)勢いだ、

 学生のレポートの殆どがウィキペディアのコピーに成ったのも去年には定着した。ウィキがよく出来ているので、これでは僕は何も知らないな、世の中の専門家はよく知ってるな。と驚いた単語だった。

 こんなに新しいものが出てくると、学校って何をする(教えると言い切れない)所だろうと、明日からの学生への言葉に迷う。

 

東京からメール
2008-02-06
 朝からメールが幾つか(いくつか)入ってる。東京からのメールが3つほど続いた。特に急ぐメールではない。

 何だろう、皆が僕の事を気遣って呉れているのかなーーーと思っていたら、メールの最後に東京は今日は雪です。と書いてある。

 わざわざ報告してくれるんだ。ありがたいなーと思って東京に電話を入れたら「今頃、固定の電話にかけて、洋(よう)ちゃん携帯は持ってナイノ。」とイナサレタ。

 「いやー皆がメールくれるから、返事を書く指が遅いので口で話そうと思って、」と言うと「洋ちゃん、東京は雪で外に出れないからメール書いて仕事してるフリしてるの。」と

 本当の事を言われると、舞い上がった自分の首筋に雪が降りかかった気がした。

数学を今から?
2008-02-05
 「要らんですよ、数学?今から?、家は(うちは)文科系のもと女子大ですよ。」と図書館の若いボーヤが言う?

 今回の僕の本の注文は殆どが数学と物理の読み物だ、「専門以外は必要無い。」と言う考えも分かるし、僕の専門が数学や物理でないことは確かだ。

 学生の頃に文科系、理科系と分けるから、人間が2種類あるような先入観が植え付けられるのであろう。

 理科系でも文科系でもゲームの楽しみ方は同じはずで、余り差がないはずなのに、学校の教育って恐ろしい。

 日本の全体で同じ問題が起きるのかもしれない。一つ一つは正解をだすが、全体としてオカシイ世の中になるのかも知れない。

 C型肝炎の訴訟にしても、一つ一つは正しかったのかも知れない20年前は。

 専門家の他人を信じるより、自分でも調べたほうが良い時代なのかも知れない。食品会社ですら信じてはイケナイ時代に入っているから。

 遅ればせながら40年ぶりにベクトルの計算をしている浅井であった。

体操
2008-02-04
 次のラクビーは4月20日だ、去年、一度止めようと思ったラクビーをまた始めた。本当は冷たい風の中を自転車で学校に通っていると、寒くって元気がなくなってきた。それに人と体をブツケル練習が出来てないので、人に当たるのが怖くなって来た。

 ぼくは怖いと思ったら止めたほうが良いと思っているので、止めようと思ってた。でも 昔の仲間は懐かしい。

「怖くない範囲でやればよい。」と勝手に理由をつけて再会するべく準備をした。やはり体はウエイトトレーニングと走るのが基本だから、5KMを走って汗を流し、ウエイト(重量挙げ)を少し始めた。重さは20kgまで行かない。

 器具を用意して、20KG持ち上げるのを少しやったら、息がゼイゼイするので器具から離れ 2kgの重りを持って周りをフラフラしてたら。腕が足ほども太い若者がかすれた子供みたいな小さな声で
 「使っても良いですか?」と聞きに来た。

 頷いて(うなずいて)片しに行くと、若者は「いいですよ」と言って片手で片付けた。 羨ましい(うらやましい)と思った。さすが悔しい(くやしい)と思うほどには僕の闘争心はもはや沸かないようだ。

 何より僕のような年寄りは若者の邪魔になってはイケナイとまた思った。

うどん屋
2008-02-03
 土曜のお昼はうどん屋に行きたい。高級なグルメではないが、気に入っている店がある。普通の饂飩を普通に食べさせる店だ。

 でも何時も何やかや有って食べに行けない。しかも子供達は肉と脂がないと敬遠する。「うどん屋に行こう。」と誘うと(さそうと) 「マックがいい。」とか「寿司がいい。」と言われてしまう。

 かたくなに「うどんがいい。」と言い続けて子供達も「親父がああ言うのだから仕方ない。」と諦めて(あきらめて)くれるのに時間がと言うか年月がかかった。

 今では家族も土曜の昼にパパが家にいれば「うどん屋」に行こうが始まると了解するようになった。

 中学生の娘が金曜の夜に
「パパ、明日のうどん屋は朝飯うどんにして、11時より前に起こさないで、行くから。」と言い出した。

 そのうち,ユックリ起きて、うどん屋で朝飯の時代になるのかも。

アメリカンスクール
2008-02-02
 学生と一緒にアメリカンスクールを見にいった。他の先生の授業に便乗して僕の知り合いの学生も連れていった。

 このアメリカンスクールには僕の娘が通っていて、いま中学1年だ、息子も小学校はこのアメリカンスクールなので僕は都合合わせて10年この学校に通っていることになる。

 でも学生と一緒に行くのは始めてだ。同じ大学の他の先生は3人いて学生は12人だった。

 朝、広島駅から13kmのアメリカンスクールに着き、ドアを開けてもらって、校長が出迎えてくれた。

 その会話のすぐ後に、靴を脱ぐか脱がないかの問題があった。一応、上履きもスリッパも用意されている。でも16人分はあるかどうか不明で下駄箱の用意もない。

 校長が口をつぐんで、若干の間があったが、下足で校内を歩くことになった。文化から考えて靴を脱ぐのはオカシイだろうが、訪問しているのは、日本人である。ドウも文化と言うものは、予想してない所から違いが現れるらしい。

ドラゴン桜
2008-02-01
 携帯電話も小さくて薄くて機能があれば、良いのではないか。ならば受験参考書も小さくて薄くて機能が有れば良い事になる。だからドラゴン桜が正しいとなる。

 薄くて小さいのに何故、この本を買うのだと息子に問い合わせると、
x 薄いから本を全部やり終える事が出来そうだ
x 漫画が書いてあり息抜きがある
x 問題は確かに易しいし量が少ない
x 勉強以外の事が書いてある

 僕らの世代の考え方とかなり違う
x 内容が不十分ではないか
x 勉強を真面目にしてないのじゃないか
x 教科書の方が良いのに無駄じゃないか
等々である

 でも僕らが本当にが正しいならば、モット優秀な人材が育ち、世の中がモット平和で幸福でなければならない。

 キット僕たちは何処かで不十分なのだろう。いや僕たちが年を取っているのに仕事場に居座る事がイケナイのかもしれない。僕は今の若者がだらし無いとも無能だとも思わないので。



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