「生前戒名を付けて欲しいんですけど」
「良いですよ」
「いくらかかるのでしょうか」
「院号を使わなければ無料です」
「無料なんですか」
「そうですね、四文字になります。 そもそもお金で戒名を買うと言うのはおかしいのです。 うちの檀家さんも何名か二文字ほど多い方もおりますが、殆どの方は四文字です」
「生前に戒名を付けるという方はどういう方ですか」
「そうですね、お寺に貢献された方とか・・・ですね」
:-)ウッ! 軽はずみに生前戒名などと言ってしまった。
よく解りもしないで軽率な言動をして恥をかく、 時々する私の失敗です。
「初対面の方がどういう方か解りませんからね」
やんわりと教えてくれました。
納骨堂については、
「建物があり、骨堂があり成り立っている物ですから、これを維持していかなければなりません。 その維持費として年間一万円だけ戴いております」
「高額なお金を戴くところもあるようですが、そうしますと私は付きっきりでお骨を管理していかなければなりません。 それは出来ませんのでね」
世俗の風潮を小耳にはさみ、
〝良い戒名だね、お金かかってるよ!〟
〝骨堂買うと檀家になることだから、何かにつけて寄付がとられるんだよ!〟
かかるお金が解るなら、出来るうちに自分でやろうと思って訪れてみたのです
が、こういう宗教家と話すことが出来ました。
いいお話を聞いた翌日、
知人の葬儀に出席した友人から聞いた話は、
〝遺体を家へ連れて帰らず、病院から直接斎場へ運んだ〟
〝焼香の順番がおかしい〟
〝形見分けが早い〟
周囲がそんなことを云っていたという、口さがない話でした。
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斎場の方に猛抗議していた親戚のおじちゃんを思い出しました
自分が遅れてきて更に親族席じゃなくて一般席に座っていたせいだったのですが・・・
自分の去り方を考えておくって大切なことですよね
今のところ、遺影用の写真と何かあった時に
葬儀が開ける程度の保険の準備はしてあります。
元気でも何が起こるかわかりませんから。
せめて手のかかる子供達が独立するまでは・・・
って思っているのですが
50年早いですね(笑)
この知人はまだ58歳だったんですよ。
習い事をしていて、そして自分もお弟子さんを持っていたので、その関係で何だか色々お師匠さんやら同門やら先輩やら弟子やらで、こっちが先だあっちが後だ・・・嫌ですね。
家族の思いのままで良いのに。
さて、今日は墓石を注文しに行って来ます。
何だか嬉しいんです(^_^)v
写真は私もスタジオへ行って撮ってこようと思っています。 いっぱい修正して貰わなくちゃね。
でも,ちょっとだけ早いのでは。
でも,元気なうちに考え行動しておくのも大切なことですね。
私の子供くらい歳の離れた弟二人しかいませんのでね、親より先に私が逝くようなことがあれば大変と思います。 まぁ~なるようになるでしょうけどね。
でも何だか楽しいというか嬉しいというか、お墓も決まり建立を待つばかりです。 ドライヴコースに入れて「あ~ここに入るんだぁ~」と思うと死も怖くない様な気がします。
戒名ですか・・・
家のじいちゃんやたら長かった気がします・・。
お金掛かってるんですかね?
ん~、確かにお寺に鐘とか寄付してました。
ばあちゃん(亡くなりましたが)は
じいちゃんの鐘、じいちゃんの鐘ってお寺行くたびに
鳴らしてました・・・。
形ある物はいつか壊れる
人間いつかは必ず死ぬんでしょうが
全然自分の死が想像できません・・・。
戒名にお墓
いつかは必要になるんだろうなぁ~。
先が長いからゆっくり考えてください(^_^)
何か、聞きかじりで色々お話を聞いたんですが、無知が恥ずかしかったですね。
お寺によって寄付金も違うようですし、葬儀の時のお金も随分と違うようです。 でも伺って良かったです。
死んでからも面倒なものですね。
何しろ始めての経験ですから・・・