30年ほど前まではデパートのエレベーターには、エレベーターガールのお姉さんが乗っていた。エレベーターが自動化して、一般人にも操作できるようになったこと、また経費削減もあって、エレベーターガールのいる所はかなり少なくなった。大きなデパートで沢山の客を効率よく運ぶために乗員を残すとか、展望塔などで案内、解説のために乗員を付ける所ぐらいだろうか。私がエレベーターガールに「興味を持つ」頃には、既にそういう存在自体が、絶滅危惧職業?になりつつあったのでした。

日本橋高島屋エレベーター・1F
Photo 2006.1.27
日本橋高島屋には名物エレベーターがある。私も小さい頃、両親に連れられて上京し、高島屋のエレベーターに乗ったことを、はっきりと記憶している。もうほとんど文化財のような半手動式のクラシックエレベーター。金色の金具が複雑に組み合わさった、シャッター状の扉が美しい。開閉時にジャラジャラ鳴る金属音もなんだか高級感があって、静岡のデパートにもこんなエレベーターがあったら良いのになぁと、憧れたもの。エレベーターのドアなんて単なる機械なんだが、その開閉の仕組みを芸術的に見せて、客を魅了するあたり、さすが昭和初期の消費と娯楽の殿堂。
「建築探偵術入門」(文春文庫ビジュアル版、東京建築探偵団、1986)を見ると、高島屋は昭和8年(1933)建設で、当初はアメリカ式のオフィスビルとして建てられたという意外な経緯を持つらしい。修繕はされているのだろうが、エレベーターも70年以上経っているはず。エレベーター周辺のデザインはアールデコ系かな。
エレベーターの中から、ドアの開閉の様子を動画で撮りたかったのだけど、混雑して撮りにくいのと、買い物もしないで、そこまでやる度胸というか、図々しさ?はまだ持ち合わせていないので、これは今後の課題。

日本橋高島屋 吹き抜けと正面奥のエレベーター
Photo 2005.6.12
正面入口から入ると、吹き抜けの向こう正面に6台が並ぶさまも、堂々としている。
建物のデザインの端々にはなぜか日本的要素が入っていて、例えば吹き抜け天井を支える柱の頂部には、石造の肘木(ひじき)と斗があり、寺院建築の組物のようになっている。

日本橋高島屋 屋上
Photo 2005.6.12
屋上階のエレベーターホールを見ても、寺院の折り上げ天井のようになっているし、長押に相当する部分には釘隠のような金物が付いている。石を貼っている所なので、本来は釘隠は必要ないのだが。
さてさて、世の中には「エレベーター萌え」なお方もおいでなようで、その名も「エレベーター通信-エレッツ-」なるHPがある。最新型のエレベーターの技術云々より、Old Styleなエレベーターを愛でる系のサイト。おお、日本にもこんなエレベーターがまだあるのね。(残念ながら無断リンクはダメらしいので、検索して御覧下さいまし)
ところでエレベータ? エレベーター? 英語綴りはElevatorですが。エスカレーター、コンピューターも同様ですね。日本語の場合、市民権を得ると長音が無くなるという話を聞きましたが。皆さんはどちら? 日本エレベータ協会、三菱エレベーター、東芝エレベータ、オーチスエレベーター・・・。業界内でも統一はされてないみたいです。
大学生相手に教えていると、エスカレーターとエレベーターの違いが判らん学生が意外に多い。どっちが自動階段を指す言葉なのか判ってないのだ。おいおい、頼むよ。乗ったことがないわけじゃないのでしょう?。エスカレートするっていう言葉もあるでしょ。エレベートしちゃったら変なんだから・・・。
余談ついでにもう一つ。予備校時代に信州の田舎出身の友人がいた。彼の実家の方には、高層建物がほとんど無かったため、東京に出てきて、エレベーターに頻繁に乗るようになっても、なかなか慣れないという。発進、停止時の加減速が気持ち悪いとのたまう。未開社会の種族の人が東京に来て、エスカレーターに巧く乗れないのとちょっと似てる。都市生活にはいろんな意味で、本来はいらんスキルが必要なのかも知れない。そして見えないストレスも多いのかも。
#古い建物 中央区 #商業系 #EV・ES #重要文化財
#近代建築 #デパート・百貨店 #高橋貞太郎 #昭和戦前期
「エレベーター萌え」というわけでは
ありませんよ(大笑)
ところで日本橋高島屋の
>当初はアメリカ式のオフィスビルとして
>建てられたという意外な経緯を持つらしい
この建物は「日本生命館」と称すとあり
当初より
6、7階南側一部は日本生命保険㈱東京支店
事務所として使用す、高島屋百貨店営業所
としては地階より屋上に至る大部分を
以ってこれに充当
と、昭和8年6月発行の建築雑誌にあります。つまり、もともとデパート用に設計
されているのです。あの入口は事務所建築
じゃないでしょう(笑)
現在と当時の図面を比較すると、階段など
開口部関係が改変されているようです。
しかし、杣辺さんのあの取材量は半端じゃありません。敬服致しております。
あと高島屋の昔の情報もありがとうございました。そうでしたか、上の方の一部だけが日生だったのですね。たしかに、事務所建築らしくない華麗さ。東側が増築だということは聞いていましたが、当初はそのようなスタイルだったというのは初めて知りました。日本生命館という名前からすると、日本生命が百貨店としてビルを建てて高島屋に貸してたのでしょうか?
>貸してたのでしょうか?
前出の建築雑誌にはこの件についての記述がなく、
日生50年史にも具体的な記述がないので
確認できませんでした。
ちなみに日生専用の入口は右横にありましたが
現在は「えるめす」の看板でつぶされてます。
まったく余談ですが、この当時(昭和4年)の
百貨店の店員は、偏平足採用不可。
今はなき同和病院で、じいちゃん先生に笑われた
偏平足をもった私は「不採用」ということに
なりましょうか。
この件、これにて失礼いたします。
それにしても、偏平足不採用って、すごく基準が変。
>貸してたのでしょうか?
この件、昭和16年㈱高島屋本店発行の
「高島屋百年史」にありました。
昭和6年4月20日 東京高島屋は日本生命保険
㈱の建築する日本生命館を賃借することを
予約し、同時に隣接の所有地に附属事務館を
併せ建築中の処、本日ヲトシ立柱式を挙行す。
この中のひらがなは、原文総てカタカナ表記。
ヲトシ立柱式って、なんだ?
ちなみに開業は昭和8年3月20日。京都から
八坂神社の「月鉾」やお囃子がやってきたのだ
そうだ。
で、昭和38年に日生事務所が移転したため
7階8階の売場を拡張したのだそうな。
この部分は高島屋150年史による。
長文失礼いたしました。
現在進められている東京駅前の大丸のような、百貨店の入居が設計時から決まっている複合建物というのが、結構昔からあったんだなぁ。