駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

分相応、今は昔

2018年01月12日 | 世の中

              

 皆さんは分相応にという言葉をどう捉えられておられるだろうか。その人の身分や能力にふさわしくと辞書には書いてある。まあ身分は不正確なこともあるだろうが能力は有りの儘だろう。昔と違って、謙遜に自らを捉え慎ましく生きようとする人は減っているような感じがする。

 血圧を測るのに上着が厚いと支障がある、診察するにも診察しにくい。診察室の前に大きな文字で上着を脱いでお待ちくださいと書いてあるのに、上着を脱がないで入って来る人が結構居る。そういう人の中には看護師の指示にハイと直ぐ脱がず、あれそうか、そうだっけなどと言いながら、立ち上がりぬっくりと時間を取らせる患者さんが居られる。空いている時ならともかく何十人と後がつかえていると嬉しくない。

 正月休みや夏休みの日程は一ヶ月半前から何カ所かに掲示している。それでも休み前になるといつからだと頻繁に電話で問い合わせがあり、受付をがっかりさせる。

 診察を受けるというのがどういうことか考えていない、この前どうだったかも憶えていないのだ。掲示を見ても頭に入れていない。それなのに、訴えることは人並み以上で、テレビで見たら物忘れは随分良くなるようだし、尿漏れもピタッと治るそうだが、あんまり良くならないなどとちゃんと勉強して一生懸命やっている医者をがっかりさせるようなことを言われる。

 普段なら大して気にならないのだが毎日100人110人の患者が押し寄せ、クタクタの老医には気になる、否気に障る。

 言うまいと思えど、知識もなく考えない人達を煽っているのは週刊誌をはじめとするマスコミの論調で、残念ながら無批判にそれに乗りそれを鵜呑みにする人達が数多い。昔は知識や思慮に不足はあってもという気がする、優れた人はそれに答えようとした、とまあ大袈裟な?結論を導いてしまった。

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