駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

柏餅を味わう

2018年05月11日 | 旨い物

     

  今日は一昨日と打って変わり皐月空が広がり汗ばむ陽気だ。一昨日はまさか五月に暖房がいるとは思わなかったという冷え込みで一体いつまで三寒四温が続くのだろう、患者さんとおかしいですねえと顔を見合わせていた。

 和菓子が好きで月に二三度生菓子を買ってくる。家から車で十五分くらいの所に三十年前から馴染みの店があり、近くを通った時にはそこで五六個購入する。私が三分の二、家内が残りの一二個を食す。当地に来て五、六年安くて美味しい和菓子屋が見つからずがっかりしていたのだが、たまたまちょっと離れた商店街で見つけたのがこの店で、その頃は七十台と思われる腰の少し曲がったご主人が健在だった。販売は娘さんと嫁さんが主に担当していたのだが、時々はご主人も出てきて接客してくれた。ちょうど今頃柏餅の出回る季節だったのだが、ご主人が新趣向で漉し餡を緑のヨモギの皮、つぶし餡を白い皮に包むのを作ってみたのだがどうかねと、馴染みになっていた私に声をかけた。なるほど、それじゃあそれを三個づつと買って帰ったのを覚えている。

 まあ、面白い味とは思ったが、定番としてはどうかなというのが私の感想だった。それでも七十を過ぎて研究心を怠らないのは偉いと思った。残念ながらというかやはりというか、逆転の発想は定番とはならず、ヨモギの皮に漉し餡と白い皮につぶし餡は消えてしまった。それからほどなく、ご主人は亡くなったのか引退したのか店に顔を出さなくなり、中年の息子らしき人が菓子を作るようになった。

 今でも皮一枚他店より旨いとは思うが、先代が作っていた柏餅の皮の腰の強さは失われた。先代の柏餅は皮が滑々しておらずちょっと手にくっついて食べにくいところはあったが、もちもちして私には噛みごたえがあり美味しかった。娘さんは嫁に行ったのか、爺さんが居なくなる前に顔を見なくなった。店は十年ほど前に建て替えてきれいになり、もっぱら嫁さんが店に出るようになったのだが、彼女はちょいととがった年を取りにくい顔立ちで相変わらず愛想はなく三十年の月日を感じさせない。

 街中の自宅で作ってご近所に販売する和菓子屋、有名店の一個200円と違い、歯を食いしばって一個130円で一日にそれこそ四五十個を売る商いには厳しいものがあるだろう。しかし先代はその中で工夫を怠らなかった。そこに紙一重、私のような顧客を捉える味が生まれていたと思う。大量生産と量販店が席巻しシャッターが下りる商店街で消えてゆくのは街並みだけでなく肝心要の工夫精進の心意気とすれば、由々しき事態なのかもしれない。

 昨日夕方行ったら柏餅は売り切れ。

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