駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

信じる者は?

2018年11月09日 | 医療

            

 

 昔ラジオか街頭説教か 信じる者は救われると聞いた記憶がある。どうも宗教心は薄い方なので、そうかなあ、救われるってどういうことと聞き流した記憶がある。長い歴史のある宗教には奥深い教えがあると思うが、全面的に信仰する境地には至っていない。祖父母や父母の言葉の方が心に深く浸み込んでいる。あるいは父母や祖父母が例えばキリスト者であればが自分も自然に信仰できたかもしれない。

 まあ同列には論じられないと思うが、医療や教育には信仰とまではゆかないが信用や信頼というものが大きな意味と力を持っている。もし自分が肺がんで手術を受けるとすれば主治医となる術者には全面的な信用を置いた医師にお願いするだろう。あるいは術者と決まった医師を全面的に信頼する気持ちになるだろう。

 世の中には絶対はモータルということだけで、何事にも万が一が付きまとうので、信用や信頼というものが持つ意味と力は大きい。愛はしばしば使う人物によって安っぽくなってしまう。ご信頼申し上げておりますという言葉を六十年の時を越えて今も鮮やかに記憶しており、ゆるぎないものだったと知っている。

 風邪や高血圧の診療程度で、信用や信頼は大袈裟だけれども、時にそれを感じる。何の変哲もない風邪薬、先生の薬の方が効くなどと言われる患者さんが居る。成分は同じ薬でも出先の見知らぬ医師のものより慣れた私の薬の方が効くと思って飲むから効くのだろう。高血圧は全く自覚症状がないことが多い。降圧剤をお飲みになった方が良いですよと申し上げても、中には様子を見るから結構ですとお断りになる患者さんも居られる。脅かすように取られるのは好まないので直ぐ引き下がるのだが、多分これには理解不足の他に僅かだが信用や信頼の不足も関与しているだろう。信用とか信頼は大仰で単なる馴染みの問題かもしれないが

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