梅にも桜のような何分咲きと云うのがあるかどうか知らないが、ご近所の梅が満開のようである。朝の冷気の中に白薄紅紅と三色がくっきりと咲いている。梅一輪、一輪ごとの暖かさと云うが、確かに朝は寒いのだが、日中の日差しは春到来を告げている。
梅を横目で見ながらでもせっせと歩いているのだが、かつかつと足音がして追い越して行く小父さんが居る。高校生なら元気だなと見送るのだが、大して年が違わない感じの親父だと、おぬしやるなと云うか、あんまり良い気がしない。脚力に自信があったのだが、どうもこの頃足が多少は弱ってきたのだろうか。梅一輪ごとの暖かさなら嬉しいが、能力体力一年ごとの衰えではちと悲しい。といっても加齢に抗するのは容易ではない。
このごろは患者の名前を想起するのが難しくなってきた。顔と病気はわかるのだが、名前が出ない。「ほら、あの」。とよく親父が言っていたなあ。もう儂も満開は過ぎた、一輪ごとに凋んで行くのかな。
梅を横目で見ながらでもせっせと歩いているのだが、かつかつと足音がして追い越して行く小父さんが居る。高校生なら元気だなと見送るのだが、大して年が違わない感じの親父だと、おぬしやるなと云うか、あんまり良い気がしない。脚力に自信があったのだが、どうもこの頃足が多少は弱ってきたのだろうか。梅一輪ごとの暖かさなら嬉しいが、能力体力一年ごとの衰えではちと悲しい。といっても加齢に抗するのは容易ではない。
このごろは患者の名前を想起するのが難しくなってきた。顔と病気はわかるのだが、名前が出ない。「ほら、あの」。とよく親父が言っていたなあ。もう儂も満開は過ぎた、一輪ごとに凋んで行くのかな。