駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

淋しいけれども

2009年08月10日 | 身辺記
 孫達が帰っていった。騒がしいのだけれども、子供というのは無邪気で本当に嬉しそう楽しそうなので、周りにいると元気が出る、爺には一番の薬だ。
 とは言いながら、若い女性達の前で、「じいじ」。等と呼ばれると、内心これこれと思う不届き爺でもある。
 男という者は(たぶん多くの)「お父さん」と呼ばれて父の自覚が生まれ、「じいじ」とよばれて爺さんの自覚が生まれるもののようだ。勿論、ばあばに負けず孫は可愛い。
 最終日、婿が迎えに来た。これまた宜しい。何と言っても、婿効果と言うのがあって、屋敷が綺麗に掃除をされて気持ちよくなり、いつも粗大ゴミの爺さんも主として扱われるからだ。
 静かな家に帰るのは淋しい。しかし、これは年の功、その淋しさを宜なるかなと受け入れることができる。これは内なる力のようだ。
 
コメント
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