ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

世田谷区民会館

2019年10月11日 | 建築&土木見物

ということで改めて世田谷区民会館。1959年。前川國男。第一庁舎の前年にまずこちらが最初に竣工しました。

コンクリートの折板構造。真っすぐなままの紙は立てようとしても倒れてしまいますが、紙を蛇腹に折れば自立します。強い柱や厚い壁でなくても成立する構造。
鉄やコンクリートなどの材料が少なく済むので建築費の削減になりましたので60年代の建物でよく見られる構造です。

下から見上げると大変かっこいい。神殿か教会のような宗教的な威圧感も感じます。



ホワイエから内部に。この日はフリーマーケットが開かれていて建物を眺めるには不向きな状態でした。折れた階段や手すりなど第一庁舎と共通のデザインです。

ホールと外壁の間の廊下。折板の形がそのまま見えます。

客席の壁も外壁と相似の折板。デザイン的な統一感を表すとともに吸音効果を兼ねています。

ステージ正面。懐かしい。高校生の頃このステージで演奏したり合唱をしたりしました。

ステージ脇の搬入口。外壁写真の2階にも同じ形のドア部分が見えるんですが、直線で構成されている中にこうやってちょろっと曲線を差し入れるのが効いてます。
こんなところは関係者と出演者しか見ない場所なんですけど。

この先はまたちょっと思い出語りになります。

1977年に高校のオーケストラの演奏会の写真パネルです。今でも机の前に飾ってある思い入れ深い写真。これがさっき見た世田谷区民会館のステージです。
写真を撮ったのは今でも付き合いのある同級生の写真部の友人。自分たちでパネルにして1枚500円でオケの部員に販売して儲けようという企みでした。せこい。

同じ時のスナップ写真いくつか。銅鑼(ドラ。ジャーンってなる中国の打楽器)の前で観音菩薩のポーズの私。ぼるはまだ17だから。

その流れで千手観音になった私。これは集合時に遊んでるところです。同じように保管した写真でもプリントによって色の褪せ方がかなり違う。

でもって、この撮影場所の今ががこちらです。ほとんど変わっていないように見えます。

3枚目。本番直前かな。チェロパートの記念写真。男子の名前はほとんど覚えてませんがかわいかった女子の後輩は3人とも分かる。みんなどうしているやら。

上の写真はこの場所。第二庁舎を奥に搬入口の前。2階の窓のところに無骨なブレースがつけられたりしてるのが違います。

最後。みんなはじけてるから演奏後の集合写真。最後列右でチェロを頭の上に上げてるのが私。

これも上と同じ搬入口だと思うんですが。鉄扉がスライド式になってて庇のサイズも違うんですが、これはたぶん40年の間に改修されたんだと思います。

ということで世田谷区民会館をじっくり見てきました。区民会館は基本的に残すとは言え、2025年の完成予想図を見る限り雰囲気はがらっと変わりそうです。

広場を囲むデッキは「世田谷リング」っていうそうです。奥の世田谷区民会館の折板構造はそのまま見えます。一番高い建物で10階。
敷地が大きいので高さを抑えられているのはさすがお金持ちの世田谷区って感じ。渋谷区みたいに敷地内に高層マンション建てて費用を捻出とか品のないことはしません。
これは完成したらまた見に行くつもりです。それまで世田谷区役所に行かなければならないような事態になりませんように。
コメント (2)
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