ダイニングカフェ・クレオン。2011年隈研吾建築都市設計事務所。
初日の魚津からの帰りに富山を通り過ぎてひとつ先の呉羽駅で下車。昭和に存在した呉羽紡績の巨大な工場跡地は市民芸術創造センターや公園になっています。
その一角にあるダイニングカフェ・クレオン。2011年隈研吾建築都市設計事務所。
安価で入手しやすい105mmの角材を組み合わせることなくただ積み上げていくだけで実現した有機的な空間。角材は太さ30mmのスチール棒を貫通して固定している。
天井がそれほど高くなく、いろいろな方向から無加工の角材が飛び出しているので、写真を撮ることに気を取られていて何度も頭をぶつけました。
お店の方に聞くとやはり食器を下げたりするときに頻繁にぶつけてしまうそうです。
この日のお天気や撮影時刻も良くなかったのですが、完成当初の写真と比べると木材表面が黒ずんでやや重苦しい印象でした。
隈研吾に限ることはできませんが、木を使ってナチュラルな雰囲気に仕上げたデザインが味わいになるか経年劣化になるか、いろいろと判断が分かれるころになりました。
氷見市民芸術文化館 古谷誠章+NASCA 2022年。
1963年に建てられた旧市民会館が震度6の地震で倒壊する可能性が高いとの指摘を受けて2014年に閉館から取り壊しに。
ホールのない街としての8年間を経て市民待望の新しい文化施設が完成しました。設計は公開プロポーザルで選ばれた古谷誠章+NASCA。
古谷誠章は作品としてはここでは初登場ですが、2019年に三軒茶屋に近い住宅地に建つおしゃれな自邸の見学会に参加したことがあります。
移転した市民病院があった場所で充分な土地があります。800人収容のホールがある本館を2階建ての回廊が囲みます。
回廊で囲まれた場所は青空広場と名付けられました。何もない芝生ですがいつでも中に入って遊んだり寝転がったりできます。
本館前の大階段は車椅子でも上に上がれるスロープもあります。青空広場でイベントが行われる際には階段そのものが客席としても機能する作り。
正直この建物はかなり気に入りました。なので写真も多い。できればここだけで
ホール前のホワイエ。もちろんホール内を見ることはできませんでした。
回廊の2階部分。ここも広場でお祭りなどやる際には観覧席になりますが、普段は何の目的もない場所です。
都内でこんなゆとりのある設計でホールが作れたら大評判になりそうです。
富山駅周辺は意外と気合の入った建築が多いです。環水公園に行く途中にみたいくつか
オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール) 1996年久米設計
いろんな直方体が組み合わさって全体にゴツゴツしたマッチョに見える建物が好きです。客席数2,196は「北陸地方はもとより本州の日本海側で最大級のホール」だそうです。
オーバードホールのとなりにダイワハウスが建てた複合テナントビル「Dタワー富山」 2024年久米設計(また!)巨大な客船のようなビル。
城端の曳山会館の駐車場の奥にあった現代建築。近づいてみましたが入れそうな入口もなく写真1枚とって通り過ぎました。
帰ってから調べるとこれが先日見た野村家の土蔵群の裏手にあって土蔵と一体化するように作られた城端町資料館「蔵回廊」なるものと分かりました。
貴重な土蔵そのものを保存展示するために作られた施設ですが、ここに入る入口がその横の曳山会館の中にあって、曳山会館の入場料を払わないと見られないのでした。
設計はイギリスのゴードン・ベンソン&アラン・フォーサイス。どうしてこんなマイナー地方都市に海外の建築家が起用されたのか。
富山県では1990年~98年に「富山県まちのかおづくりプロジェクト」というのがありました。市町村が海外の建築家と協力して町の顔となる建物を作るという企画です。
プロジェクトのコミッショナーは磯崎新でした。「かおづくりプロジェクト」は8年間でで20ほどの建物が作られました。
蔵回廊もその20のうちの一つ。そして以前に見た新湊の内川赤い橋や、環水公園のあの橋もすべてこのプロジェクトで建てられたものだったのです。
2021年に新湊を散歩した時のブログに「なぜここにスペイン人建築家が出て来たのかは謎のままです。」と書いていましたが、3年後にその答えが分かりました。
最後に富山駅。これは建築というより都市計画の話です。
富山市は2006年に老朽化したJR西日本の富山港線をLRT化、2020年には富山駅の北と南で分かれていた複数の路面電車を、富山駅を貫通する形で接続させました。
上の写真でLRTが駅に向かっている場所は数年前まで広い駐車場だった場所です。路面電車の駅は見ている富山駅から駐車場を挟んで少し離れた手前にありました。
駅の再開発はいろいろ見てきましたが、駅の建て替えと同時に鉄道のルートまで変えてしまった例はあまり知りません。かなり利便性は高くなりました。
渋谷に例えるなら、井の頭線と銀座線を渋谷駅の3階で繋げてしまったようなイメージでしょうか。
初日の魚津からの帰りに富山を通り過ぎてひとつ先の呉羽駅で下車。昭和に存在した呉羽紡績の巨大な工場跡地は市民芸術創造センターや公園になっています。
その一角にあるダイニングカフェ・クレオン。2011年隈研吾建築都市設計事務所。
安価で入手しやすい105mmの角材を組み合わせることなくただ積み上げていくだけで実現した有機的な空間。角材は太さ30mmのスチール棒を貫通して固定している。
天井がそれほど高くなく、いろいろな方向から無加工の角材が飛び出しているので、写真を撮ることに気を取られていて何度も頭をぶつけました。
お店の方に聞くとやはり食器を下げたりするときに頻繁にぶつけてしまうそうです。
この日のお天気や撮影時刻も良くなかったのですが、完成当初の写真と比べると木材表面が黒ずんでやや重苦しい印象でした。
隈研吾に限ることはできませんが、木を使ってナチュラルな雰囲気に仕上げたデザインが味わいになるか経年劣化になるか、いろいろと判断が分かれるころになりました。
氷見市民芸術文化館 古谷誠章+NASCA 2022年。
1963年に建てられた旧市民会館が震度6の地震で倒壊する可能性が高いとの指摘を受けて2014年に閉館から取り壊しに。
ホールのない街としての8年間を経て市民待望の新しい文化施設が完成しました。設計は公開プロポーザルで選ばれた古谷誠章+NASCA。
古谷誠章は作品としてはここでは初登場ですが、2019年に三軒茶屋に近い住宅地に建つおしゃれな自邸の見学会に参加したことがあります。
移転した市民病院があった場所で充分な土地があります。800人収容のホールがある本館を2階建ての回廊が囲みます。
回廊で囲まれた場所は青空広場と名付けられました。何もない芝生ですがいつでも中に入って遊んだり寝転がったりできます。
本館前の大階段は車椅子でも上に上がれるスロープもあります。青空広場でイベントが行われる際には階段そのものが客席としても機能する作り。
正直この建物はかなり気に入りました。なので写真も多い。できればここだけで
ホール前のホワイエ。もちろんホール内を見ることはできませんでした。
回廊の2階部分。ここも広場でお祭りなどやる際には観覧席になりますが、普段は何の目的もない場所です。
都内でこんなゆとりのある設計でホールが作れたら大評判になりそうです。
富山駅周辺は意外と気合の入った建築が多いです。環水公園に行く途中にみたいくつか
オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール) 1996年久米設計
いろんな直方体が組み合わさって全体にゴツゴツしたマッチョに見える建物が好きです。客席数2,196は「北陸地方はもとより本州の日本海側で最大級のホール」だそうです。
オーバードホールのとなりにダイワハウスが建てた複合テナントビル「Dタワー富山」 2024年久米設計(また!)巨大な客船のようなビル。
城端の曳山会館の駐車場の奥にあった現代建築。近づいてみましたが入れそうな入口もなく写真1枚とって通り過ぎました。
帰ってから調べるとこれが先日見た野村家の土蔵群の裏手にあって土蔵と一体化するように作られた城端町資料館「蔵回廊」なるものと分かりました。
貴重な土蔵そのものを保存展示するために作られた施設ですが、ここに入る入口がその横の曳山会館の中にあって、曳山会館の入場料を払わないと見られないのでした。
設計はイギリスのゴードン・ベンソン&アラン・フォーサイス。どうしてこんなマイナー地方都市に海外の建築家が起用されたのか。
富山県では1990年~98年に「富山県まちのかおづくりプロジェクト」というのがありました。市町村が海外の建築家と協力して町の顔となる建物を作るという企画です。
プロジェクトのコミッショナーは磯崎新でした。「かおづくりプロジェクト」は8年間でで20ほどの建物が作られました。
蔵回廊もその20のうちの一つ。そして以前に見た新湊の内川赤い橋や、環水公園のあの橋もすべてこのプロジェクトで建てられたものだったのです。
2021年に新湊を散歩した時のブログに「なぜここにスペイン人建築家が出て来たのかは謎のままです。」と書いていましたが、3年後にその答えが分かりました。
最後に富山駅。これは建築というより都市計画の話です。
富山市は2006年に老朽化したJR西日本の富山港線をLRT化、2020年には富山駅の北と南で分かれていた複数の路面電車を、富山駅を貫通する形で接続させました。
上の写真でLRTが駅に向かっている場所は数年前まで広い駐車場だった場所です。路面電車の駅は見ている富山駅から駐車場を挟んで少し離れた手前にありました。
駅の再開発はいろいろ見てきましたが、駅の建て替えと同時に鉄道のルートまで変えてしまった例はあまり知りません。かなり利便性は高くなりました。
渋谷に例えるなら、井の頭線と銀座線を渋谷駅の3階で繋げてしまったようなイメージでしょうか。