夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

メアリー・スー。

2015-01-30 | 中身

 表題に挙げました言葉はスタートレックの二次創作小説のヒロインに由来しています。現在の意味としては二次創作におきまして、原作のキャラクターよりも優秀有能万能で愛されまくる設定なオリジナルキャラクターを指す言葉です。二次創作作者の願望をそのまま原作にぶち込むが故に元々の作品世界と調和などする筈も無く、必然的に原作キャラクターの思考様式は歪められ……結果として二次創作作者本人が心地良いだけの、他人から見れば俗に言う原作レイプという状況に陥ります。他人が構築した作品世界を自己の欲求で踏み躙る行為だからこそ、メアリー・スーというのは嫌われて然るべき事象である訳です。
 さて、しつこく何度も「二次創作」と繰り返しましたのは、どうも昨今ではこの言葉を一次創作にも用いる傾向があるようで、私はそれは見当違いというモノだろうと考えるからです。一例を挙げるなら……私が北斗の拳の二次創作漫画を描いたとしましょう。そこにオリジナルキャラクターを投入します。そいつは12歳の少女で、ケンシロウよりも遙かに強く、カイオウを一睨みで失禁させる程の闘気を放ち、トキよりも仁徳に満ち、ユリアよりも慈愛を秘め、原作キャラクター達全員から求愛され、それでいて傲る事なく……というようなキャラクター。これは、私が描けば紛れもなくメアリー・スーと呼ばれる代物でしょう。しかし、もしも正当な作者である武論尊&原哲夫が全く同じキャラクターを描いたのなら、それはメアリー・スーではありません。読者の立場からすれば作者は気でも狂ったのかと思いますし、駄作になったと判断するでしょうけれども、正当な作者は自己の作品世界を自由に描く権限を持っているのですから。
 或いはファイブスター物語におけるアマテラスは問答無用に最強無敵、文字通りの神様ですから仮に本気を出せば作中最強の騎士であるログナーと最強のダイバーであるボスヤスフォートが一億人がかりで挑んでも勝負になりません。世界の基本設定さえあっさりと改変可能な存在であるアマテラスですが、しかし作者である永野護が描く限りにおいては立派に真っ当な登場人物であってメアリー・スーなどではないのです。

 
 どうしてこんな事を唐突に書き殴ったのかといえば、まぁ要するにオメガルビー&アルファサファイアの感想を述べるに際しましての前書きです。どうも世の中には物の道理を弁えず感情のみで喚き散らす方々が存在するようで、そういう輩が言葉の由来も把握せずにメアリー・スーなどと口にしているのを眺めますと……言葉尻の些細な事とはいえ、少々気になりましたもので。
 メアリー・スーと称される事の多いエピソードデルタのヒガナや、テイルズ・オブ・ヴェスペリアのエステルなどは、その描写が本家本元の一次創作で行われている以上はメアリー・スーと呼ぶのはお門違い。勿論彼女たちを観て「不愉快だ」と感じるのは個々の勝手ではありますけれども、批判するにしても正確な言葉を用いなければ批判者の頭の程度が疑われ、説得力も欠如してしまうのではないでしょうか。私とてつまらぬ揚げ足取りで勝ち誇りたくは無いのです。殴り合いというモノは、真っ向から全力でぶつかって、互いの血反吐と吐瀉物まみれになるところに醍醐味があるのですから。


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