今年もぎりぎりの人数で、2年生をバックに入れるシフトだけど、
西日本選抜に出場できた。
《1日目》
予選リーグは、
第一試合は、地元の長岡京さんと対戦
21-14 21-13 で敗け。
吹葵は途中で、思うようにできなくて泣き出して楓人と交代。
みんなサーブが入らず、尾崎・充輝・颯真・吹葵と続けてサーブミス
第二試合は、和歌山の川辺ひかりさんと対戦
最初は、リードされるものの、吹葵が復活…
へなちょこドライブサーブが決まって、なぜか、
勝ってしまった。
そのおかげ…そのせい…でありえない
決勝トーナメントに残ってしまった。
先生と「明日はB級戦で1つでもたくさんやらせてもらえたら…」って
話していたのに、話がちがう~

強運というべきか、不運というべきか…
その晩は、先生とあやちゃんと3時過ぎまでお話をしていて
寝不足になった。。。。
《2日目》
決勝トーナメントは、案の定どこも強いところが残っていて、
なんでこのメンバーの中にうちがいるの~?状態だった。
1回戦は、石海さんと対戦、10点取れるのか心配だった。
強打を打ち込まれて、吹葵はまた、どん底に~泣き出して
コートから出された。
やっぱり21-5 21-3 であっという間に終わってしまった。
敗者戦に回って、奈良の片桐さんとフルセットで負けた
広島の誠さんと対戦
21-10 21-10 でストレート負け。
わかっていたこととはいえ、耕亮にとって最後の西日本は
あまりにあっけなかった。
帰り道…
名神で事故渋滞にはまり…やっと抜けたと思ったら、
今度は、新名神のトンネルの中でパンク~


トンネルだけは出たいと思って、ぎりぎりまで走ったものの

もうタイヤがもたず…あと200mぐらいのところで停車…


死ぬかも~って思った。
とりあえず、耕亮以外の子供を後藤号に乗せてもらって、
先に帰ってもらうことにした。私がJAFに電話している間に
先生が、子供を後藤号に移動させてくださった。
先生にも一緒に乗って帰ってもらおうと思ったんだけど、
一緒に残ってくださった。
JAFから、くれぐれも自分でタイヤ交換をしないようにと
言われ、後続車に追突される危険があるので、
車から降りて待つように言われた。
救援の車が到着するまで約1時間30分~2時間ほどかかると
言われたので、トンネル内の電話ボックスに入って
先生と耕亮と3人で、JAFが来るのを待つことになった。
しばらくして、黄色い車が来て、状況を聞かれ、車の後方に
赤い三角板を置いていってくれた。
それから1時間ほどして、JAFが到着。
トンネル内は危険ということで、車を次のパーキングエリアまで
運んで、タイヤ交換をしてくれることになった。
パーキングに着いて、タイヤ交換が終わるまで20分ほどだった。
もう20年くらいJAFに入ってて、全然使ってないから
もったいない~って思ってたけど、会員だったから、
無料で修理してもらえて助かった~
スペアタイヤだったのと、亀山JCTからの渋滞もあったので、
ゆっくり帰ることになった。
途中で、先生が、
「3人しかいないから、今、耕亮に聞くことにする」
と言われて、
「京吾も部活の仲間とやりたい気持ちがつよかったから、
クラブをやめて部活に行った時期があった。お前も
部活で使ってもらえるなら、そっちに行ってもいいと
私は思うけど、どうしたい?大人のことは考えなくていい。
自分の正直な気持ちを言っていいんだよ。」
と耕亮に聞いてくださった。
耕亮は、それから1時間以上、黙って考え込んでしまった。
途中のSAで休憩したあと、再度先生に聞かれて、
「ボクは、クラブで試合に出ます」
って答えた。
先生が、「わかった」って言ってくださった。
耕亮なりに考えた答えだったと思う。
私がクラブの代表をしているから、
我慢してそう答えたのかもしれない。
耕亮も、だんだん大人になってきたんだと思う。
うれしいやら、かわいそうやらで 私が泣きそうだった。
先生と駐車場で別れるときに、
「これからもお願いします」
って耕亮が言ったら、先生が笑って、
「とってつけたみたいだね」
って言われた。
たったそれだけだったけど、胸がじーーんと熱くなった。
大変な思いをした最後の西日本だったけれど、
耕亮が先生ときちんと向き合って話すことができたのは
ほんとうにほんとうによかった…。