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自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

契丹のこと

2012-08-02 07:22:59 | Weblog
草原の王朝    2012-8-02

激動の10世紀、モンゴルの草原
を駆け抜けた遊牧の王朝契丹。
今上野芸術大学美術館で契丹
特別展が9月17日まで開催され
ている。

http://kittan.jp/

昨日、酷暑の中、見てきました。
すいていて良いですね。じっく
り見てきました。中国では唐か
ら宋に替わる頃、キルギスとか
ウイグルといった遊牧の民が力
を付けてくる。916年キタイの
耶律阿保機が契丹帝国建国。後
にモンゴルの帝王となったチン
ギス・ハーンは国の運営を耶律
阿保機を真似たと言われる。

ユーラシアの東の太平洋から西の
大西洋岸まで統一して最大の帝国
を築いたチンギス・ハーンを始め
遊牧の民は戦に強い。何故か。家
の賄いは、年寄、女子供で出来る。
一家の男は戦が仕事になる。戦に
勝って分捕り品が多ければ収入が
増える。部族の長は、戦の対象を
常に見つけて、男たちの稼ぎの場
を提供することが大事な仕事にな
る。

契丹の姫君の装飾品の美しさは
目を見張る。金銀にトルコ石、
琥珀(どでかい)

金銀の細工には唐、宋の技巧が
受け継がれ、分捕り品もあるだ
ろうが、交易品もあったに違いな
い。商人は安心して旅行ができる
手形を買って商売をしてた筈。西
アジアのガラス工芸品も見られる。

当時シルクロードは各駅停車の道。
その北側に、新幹線、草原の道が
あり、遊牧民の軍隊は、馬に乗り、
疾風の如く往来し、お宝の多い各
都市を次から次へと落として行っ
た筈。

契丹にも南の西夏にも文字は有っ
たが、その流通と使用実績では
漢民族の漢字に遠く及ばない。
だから遊牧の民の歴史には、未だ
未だ多くの史実が隠されていて、
魅力的。

歴史とは書かれたものが歴史と
なる。敗者の歴史は勝者によって
改竄される場合がある。文字の
無い民族は歴史を残せない。契丹
とか西夏の文字は未だ解読出来て
いない。漢民族は優れた文字を
用いて、書くことに優れていた。

私が契丹に魅かれるのは947年に
国号を大遼とした。私の名前は遼。
放っておく訳には行かない。中国
に住んでいた昔、西夏には一度、
旅したが、契丹には行かずじまい。
それが心残りである。

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