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大瀧詠一さん急死

2014年01月02日 | 邦楽
新年から訃報の書き込みです。
実際に報じられたのは12/31ですが。

ミュージシャンの大瀧詠一さん(65才)。あまりにも突然の訃報です。

倒れられたのは12/30午後7時ごろ、自宅で家族と自宅で夕食をとった後、
デザートでリンゴを食べている最中だったとか。

御家族からの通報で病院へ搬送されたが、死亡が確認されたとの事。
死因は解離性動脈瘤。

御家族によると、大滝さんは日ごろから健康に気を使い、酒もタバコもやらず、
散歩やサイクリングといった適度な運動もしていた。大病の経験もなく、
健康だったため、家族も知人も信じられない急逝だった。



山下達郎さんもショックだろうな・・・。
自分より若い青山純さんに続き、先輩的・盟友的存在の大瀧さんの逝去だもんな。

「クリスマス・イブ」の事を「100年に一度の名曲」と評したのも大瀧さんだったよな。
プロデューサーとして、73年に達郎や大貫妙子らのバンド、シュガー・ベイブを手掛けたのも大瀧さん。

そもそも70年、御本人が細野晴臣や松本隆らと結成した「はっぴいえんど」からして伝説的な存在で
解散した後のソロ活動では自分のレコードレーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、
CM曲のレコード化やアルバム化を実現した。



「ナイアガラ・トライアングルVol.1」で、山下達郎、伊藤銀次と共演。

81年にはアルバム「A LONG VACATION」を発表。
「君は天然色」「恋するカレン」が収録された同アルバムは社会現象にもなるミリオンヒット。



82年には、佐野元春、杉真理を起用して「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を発表し
これがまた大ヒット。
81年には松田聖子のアルバム「風立ちぬ」をプロデュース。
作詞を元はっぴいえんどの松本隆が担当した同アルバムも大ヒットを記録し、
81年~82年は、まさに「大瀧詠一の時代」と言えた。
※山下達郎も「RIDE ON TIME」「FOR YOU」で台頭、一気に
ナイアガラVol.1メンバーが日本のポップシーンのトップに躍り出た。



大瀧も達郎のようにアルバムやシングルを連発してくれるか・・・と思いきや
なんと御大は、すっかり沈黙。

次のアルバム「EACH TIME」の発売が84年だったんだが、
なんか、もっと待たされた印象あるんだよなぁ。

待ちに待った「EACH TIME」は「落ち着いたロンバケ」って印象で
これまた大ヒット。
大瀧さんにとって唯一のオリコンチャート1位アルバムとなった。



97年の12年ぶりのシングル「幸せな結末」も、テレビドラマの主題歌として話題になり、
ミリオン超えの大ヒット。

出しゃあ売れるんだけど、なかなか出さない。
すっかり、そんなシトになってしまわれた。
でも、それがまた大瀧さんらしかったんですけどね。

楽曲提供では
森進一への「冬のリヴィエラ」、小林旭への「熱き心に」など、数々の名曲を世に出した。
「さらばシベリア鉄道」は大田裕美らにカヴァーされた。

他の人に歌わせる楽曲でも、聴けばすぐに分かる「大瀧節」なのが嬉しかった。
※つい先日カラオケで歌ったばっかりですよ・・・



J-POPなんて言葉が無い時代
ニューミュージックの先駆者であり、後輩ミュージシャンたちに憧れられた日本屈指のメロディーメーカー・サウンドメーカーだった大瀧さん。

洋楽から邦楽まで莫大な知識を持ち、サンボマスター山口クンとの対談でも
「後から評論家が色々言っても、こっちはリアルタイムで聴いてるからね」という強烈な自負を披露されておられた大瀧さん。

03年シングル「恋するふたり」を最後に新曲は無く、「そんなモノ期待するだけヤボだよ」言わんばかりだった大瀧さん。
「音楽活動とはアルバムを出すだけじゃないんだよ」とも語っておられてたとか。

05年からは自身のアルバムの発売30年リマスタリング。
13年も、「EACH TIME」のリマスター作業を11月まで行っていたという。

そのリマスター版「EACH TIME」は今年3月の発売が予定されてるそうです。

あと、もう一つ。
結構この方の曲も「ぼっちソング」が多かった気がします。
「A LONG VACATION」なんて、相当に切ない曲が収録されてるもんね・・・。
※まぁ、「FUN×4」なんてハッピーエンド曲もありましたが

達郎の曲と言い、「夏だ」「バカンスだ」というイメージが強いけど
私には染みて染みて仕方が無かったですよ・・・。

大瀧さん、ありがとう御座いました。
心より御冥福をお祈り致します。


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