良寛様の絵が・・・ユーチューブで??

2014年12月04日 02時58分51秒 | 墨彩画 書 個展
何気に良寛様を検索していたら・・・
ユーチューブに・・
あれ???
初期のころの画集に載せた良寛様の絵が・・

拝見させていただくと・・
あれあれ、器用に真似た絵??に販売価格までついてます

かと思えば、HP表紙の良寛様が使用されたり・・

覚えのない処から自分の作品にでくわしたり・・

なんだか、不思議です。



良寛様の絵 下書き

ある秋の月の晩、月に興じていも畑を彷徨。
いも泥棒と間違えられ、鉄拳を揮われてあまりの痛さに、良寛であると白状。
良寛さまであることを知った百姓は大いに謝ったが、良寛さまは相手を咎めず、飄然と古歌を口ずさみ去った という 逸話を描いたもの。

  打つ人も打たるる人も諸共に
    如露亦如電  応作如是観  

  注釈 露のごとく、また電のごとく、まさに是のごとく観をなすべし。
   忽ちにして変わる身であるから、根にもって恨んだり怒ったりす
   るものではないと観じなさい。  (参考資料・大愚良寛)

 また、円通寺で雲水の頃、盗人と間違えられても身を明かさず土中に埋められた時

 「人が一旦他人から疑われだした以上はいくら弁解してもとて結局無益申し訳にすぎ  ないものだ、それを思ったから自分はこれも何かの見えない自分の罪業のしからし  むるところと諦め、いかなる苦しみも甘んじて受ける覚悟で黙っていたのだ」 
                      円通寺に伝わる口碑

  我を立てて、
  身から出たさびでも相手を責めたりするような不出来な人間には
  なかなか・・・されるだけ、いわれるだけの自分だと内省しがたい・・

  虚心な良寛様のお言葉を読み返し読み返し、業の深きを反省するばかり。
    
 遊女とおはじきの図 

 いかに簡略にして描くか・・・
 何より難しく、
 思うに任せず、難渋しての制作の日々・・なのです
   
  
    





今年も12月になりましたか・・・

2014年12月02日 00時06分05秒 | 墨彩画 書 個展
11月最後の日、快晴。
新宮に向かう車中から、中辺路・福定の大銀杏が見事な紅葉。
・・・といっても少し遅い感あり。


熊野古道を歩く人たちが多いのか、道の駅は活況。

熊野本宮大社に参拝。

熊野神社の総本山にあたる熊野三山(本宮、新宮、那智)の中でもとりわけ古式床しいく聖地の雰囲気。

かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあったといいます。明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた社を移築したそうです。今もその場所には鳥居だけが残っていました。


23年・紀伊半島を襲った台風12号では、
写真碑の 熊野 文字下まで水につかったとのこと。

崩れ落ちた岩石、なぎ倒された樹木災害の爪痕はは道中至る所でありました。




最近の仕事は・・・
良寛様の逸話などを描いた画集をだす予定の為、悪戦苦闘の毎日。
12月に入ってしまいました。
あれもこれもと忙しい。
師走です。

そして、寒いです。